大樹に寄り添う街

1/1
前へ
/6ページ
次へ

大樹に寄り添う街

 誰かは言いました。洞窟の中で生きていれば、その内人間ではいられなくなってしまうと。太陽の光を浴びねば人は人でいられなくなってしまうと。しかし、仲間は言いました。だが、洞窟の外は危険な猛獣ばかりだ。外で暮らしてしまえば私達は生きることすら出来なくなってしまう。うーん、と悩む彼等に最初の誰かは言ったのです。ならば、木の上で暮らせばいいと。気の周りに足場を作り、木と木の間に広場を作ればいいと。そうすれば地を這う猛獣達の脅威に私達は怯えなくなると。そうして生まれた街がここさ。  お伽噺のような話を交えて紹介してくれたこの街は、まるで自然の中に生まれたような感覚があった。巨大な木々の周りには足場が打ち込まれるようにしてあり、ところどころにロープが巻かれていた。巨木にはいくつもの扉がついており、どうやら木の中に空洞を作ってそこで暮らしているらしい。  ここの住人達は移動方法もまるで野生だった。荷物がなかったり軽いものならそこら中に吊るされたロープを掴みまた別のロープへとターザンして行くことで移動していた。重い荷物などもロープで引っ張りあげていた。  こうしてこの高低差の激しい街は成り立っていた。  いやぁ、凄いねぇ。まるで人が鳥にでもなったようだよ。視界のあちこちで人が飛んでいる。僕達も後で試してみるかい?  彼の言葉に私は首を振った。そして、彼の袖を小さく掴んだ。  出来るはずがない。いや、彼なら出来るかもしれないけれど、私は絶対に無理だと言える。かといって、彼だけがロープを使って移動するのは私が置いてかれてしまう。だから、こうして袖を掴んで抗議するしかできなかった。  勿論彼は私の意図を理解してくれたようで、冗談だよ、と笑った。  私達は“宿り木”と称された宿屋の密集している巨木で宿をとった。部屋は木造張りの四角形型だった。窓は一つだけついており、外は既に薄暗くなっていた。それでも時々視界の下で黒い影が飛ぶ姿が見える。  さて、夕食はどうしようか? このままルームサービスに頼むっていうのも手だろうけど、折角だしさ、冒険してみないかい?  ようやくベッドに腰かけたかと思えば、彼はそんなことを言いだした。目を見るとまるで少年のように輝いている。行きたくて仕方がない、そう言いたいのをぐっとこらえているのだろう。  ほら、さ。さっきのご夫婦から聞いただろう? この街のでしか取れない樹液を使った飲み物に、食べ物! 自然の中に生まれた街だからこその野鳥や珍しい野菜の数々! ……あー、やっぱり、疲れてる? ええと、その……やめとく?  ちらちらとご褒美を待つかのような彼のしぐさに根負けしたとは言いたくない。言いたくないけれど、仕方ないな、と思ってしまったのは事実。億劫そうに、けれどベッドから立ち上がった私に彼は一層目を輝かせた。  ため息をつくくらいは許してほしい。  よしよし、じゃあ行こうか! 場所は知っているんだ!  気が変わらない内にと、彼が私の手を握って急ぎ足で歩き始める。それについドキリと胸を高鳴らせてしまい、そしてそんな自分になんでと思ってしまう。その間にも彼は私が返事を返せないことを知っているにもかかわらずぺらぺらと流暢に説明をしている。  結局それは店に着くまで続いて、急ぎ足だから私も幾分息を上げてしまっていた。私の様子に彼は今更気づいたようで誤魔化すかのように頬をかいていた。  ごめんごめん、本当にごめんって。  それでも誤魔化すしぐさはすぐに謝罪の形へと変わる。すぐに謝ることができるのは彼の美徳でもあると思う。だから、少し彼の二の腕を叩くくらいで許すことにした。  息を整えて入店すると、木彫りの空間が出迎えてくれる。四方から香る木々の匂いは宿の部屋でもそうだったけれど、ここの匂いは少ししっとりしているように感じた。  それは彼も感じたのだろう。席に着いた彼がきょろきょろとしながら私に話しかけてきた。  面白いね、これ。外観はそっくりだったから気づかなかったけど、僕らの泊まる宿の木とはまた別種の木みたいだ。  さすがに私はそれには気づかなかった。相変わらず彼は本当に同じ村で暮らしていたのかと思うほど観察眼が鋭い。  やがて運ばれてきた料理に舌鼓を打ち、私は彼の話をいつも通り聞いていた。 ・ ・  私はワインが苦手だ。あの独特な渋みがどうにもなれない。けれど、この街の樹液を混ぜると、とたんまろやかな味わいになり、後から来る控えめなワインの味わいはなんとも美味しいものだった。  つまりは飲みすぎてしまったのだ。  っと。大丈夫かい?  くらりと足元がおぼつかないのを彼が補助してくれている。私としても飲みすぎたな、という自覚はあった。それでもぼんやりとした意識のせいで彼に返事を返すことができないでいた。  あー、これは、帰るの大変そうだなぁ。  近くにいるのに、彼の声が遠く聞こえるようだった。そういえば、店から宿まではそれなりに距離がある。今の私はその距離はとても歩き切る自信はなかった。けれど、もしかしたら彼も同じことを考えていたのかもしれない。  ……よし、じゃああれを使わせてもらおうかな。っと、ちょっとごめんよ。  ふいに私の体が持ち上がった。彼の体温が感じられるから、彼に抱えられているのだろう。とても心地よかった。  そう思ったのもつかの間。一瞬の浮遊感の後に私を襲ったのは鋭い風とぐにゃりと変わる重力。余りのことに私があばれようとするが、再度襲い掛かる浮遊感に体が硬直する。そしてまた鋭い風。  はっきりいって気持ちが悪い。酔った体にこれは拷問だった。喉元にせりあがってくる何か。酔っていてもそれは外に出してはいけないことくらい解っている。けれど、状況を把握できていない私は満足に体を動かせなくて、それでも気持ち悪さはいよいよ増してきて。  ……あっ  どこかで彼の声が聞こえたような気がした。  そこからは殆ど覚えていない。いや、本当は覚えているのだが思い出したくない。  ただ、しばらく彼とは目を合わせないことにしたのは事実だ。  これはきっと、私にとって上位にはいるほど、恥ずかしいことだったのだから。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加