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圭吾は更に続けた。
「だから美咲さんは、後ろめたく思う必要なんて何もないから、安心して。
…それで、その、美咲さんがうちに来た日の事なんだけど、美咲さんの様子がおかしくて。エプロンしたままで、指は怪我してるし、何も喋らないし。それでその時、何かの疾患だと思ったから、昔からうちの母親も世話になってる人で、尊敬する恩師がいるんだけど、その人に連絡して、診てもらう事ににしたんだ。だけどその日、車を車検に出してて、バイクしかなくて。」
圭吾は目を反らすと、遊んでる昌哉の方に目を向けた。だが、その彼の意識はまだずっと遠いところにあるように見えた。
「そう…だったんだ。」
今まで知りたかった事故の話しを聞けたというのに、何一つ思い出せない私は、やっぱり他人事のようにしか返事ができなかった。
「別に、2人乗り用のバイクだったし、そこまでは何の問題もなかったんだ…。だけど…」
そう言って圭吾は俯いた。
「それが途中で、美咲さんは手を離したんだ。何故、美咲さんは手を離したか分からなかったけど…。」
「私が手を?」
私が圭吾に問い質すと、私の方を見て頷き、再び俯くと、そのまま屈んで片手で顔を覆った。暫く目を閉じて、深呼吸をすると、閉じられた瞼を上げて言葉を繋げた。
「俺にしっかりとつかまっていたその腕が、ゆっくりと離れたと思ったら、今度はさっきまで背中に感じてた美咲さんの圧と感触がなくなって…。気配すらなくなったんだ…。本の一瞬だった…。あの瞬間は本当に…生きた心地がしなかった…」
そう言って口を噤んだ圭吾には、思案中に出る、指で眉をなぞる癖が見受けられた。その後、少しの間微動だにしなかった圭吾だったが、息をつくと顔を上げた。
沈黙は続いた。
彼の斜め後ろから見る横顔には、苦悶の色が伺えた。きっと、そうしたのは私だ。私が、これまでずっと圭吾を苦しめてきたのだろう。
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