血と薔薇の喜遊曲

6/13
前へ
/13ページ
次へ
確かに、夕霧は私を愛している。 聖母の腕に骸を横たえるピエタ像の基督の如く身動ぎもせず私の胸に身を委ねた彼女の安らかな息遣いに耳を傾けずとも、平生の夕霧の瞳に過る影を思えばそれは言明するにも及ばない明白な事実であったし、きっと月並みな言葉で以て私と彼女との主従を繋ぐ甘美にして奇怪な紐帯を解き明かそうと試みるのは、凡そ灯心で竹の根を掘る様に虚しい徒事である。 極彩色の凌霄花(のうぜんかずら)の様に夕霧の胸裏に毒々しく絡み付いた私への尊崇と敬愛と陶酔とは、例え千の言葉を費やせども、その実態を捉え的確に言い表す事は叶わないのだ。 神と共に言葉が存在したとは切支丹の教義だけれども、福音書随一の金言も我が臣の胸中を鑑みると如何にも覚束無く思われて仕方がない。 だから、私は虚ろな言の葉を重ねた夕霧の信仰告白(クレド)など欲した事は無かったし、彼女に宿る解明を欲せざる感情の揺らめきを感じ取るただそれだけで、御堂関白の眺めた遥けき王朝時代の望月の様な金甌無欠の満足を味わう事が出来たのである。 ・・・けれども、磨き上げられた銀器が曇りに侵される様な容易さで、私の鴎の様な心は一度目を離すや忽ちにして憂愁の海原へと飛び去ってしまう。 夕霧は例えどんなに渇望しようとも、私の血を欲する事がない。ただ、その一事が私の幸福を拭い去る事の出来ない翳りで蝕むのである。 それは偏に、私の白く透き通る首筋にむさぶりついて夏の草原を駆け抜ける奔馬の様な欲動の赴く儘に暴虐に牙を立てる事を望みながら、神罰に値する禁忌でもあるかの如くにそれを忌避して憚らない彼女の清廉な信徒ぶりが、却って私の望む身を焦がすような赤誠の情熱には相応しからざる怯懦な振る舞いに思われたからであった。 これが理の無い言い掛かりである事は百も承知であったけれども、血と情愛の紐帯を証す事に於ては世俗一般の礼法など却って不調法というものではないかしら。 私達が血を欲した瞬間、世界には美徳も悪徳も無い目眩く地平が黄金に燃え立つ旭日と共に現出する。 ・・・その時、其処に存在するのは幸福と不幸ただ、それだけなのだから。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加