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次は二〇〇八年のことだった。
「なあ、お前いい加減カレシできた?」
ブリックパックの牛乳を飲みながら中島くんは行儀悪く椅子の背にもたれかかってそう訊いた。
「ううん」
と私は答えた。
「じゃあそれ脈ねえんじゃん、無駄だよ」
そう言って笑った中島くんを、私は笑った。
「そんなの、知ってるけど?」
だってあのひとは、手の届かないひとなんだから。あのひとを思い浮かべていると、胸の中に甘い痛みが広がっていく。じわり、どろり、浸食される。
「なに、そいつ、カノジョいるヤツなの?」
潔癖そうに眉を顰めて中島くんが私の目をじっと見つめた。中島くんは悪いひとではないけれど、だけどとっても、幼稚に見えた。
「いないと思うけど」
彼女がいるとかいないじゃなくて、そもそもあのひとは私なんかに釣り合わない。あのひとは私の理想そのもの。たとえばそう、夜空に輝く遠い星なの。
中島くんはぷっと吹き出して、それから学生服の袖でちょっと口元を押さえた。それがいかにも、男子高校生に見えた。
「もしかしてお前の好きなひとって、芸能人かなんか?」
「まさか。芸能人ならまだ可能性もあるじゃない。だって会えるかもしれないんだから」
「なにお前の好きなひとって死んじゃったの?」
かかとの潰れた上履きだとか。白いストローの先についてる歯形とか。ちょっと猫背の座り方。
「ううん。そんなに気になるなら、教えてあげる。私の好きなひと」
須藤さんって言うの。このひと。
教科書の途中に閉じ込められた平べったい白い紙に印刷された須藤さんを見て、中島くんはちょっとげんなりした顔をした。
「漫画かよ」
「失礼ね、小説よ。須藤さんはね、眉目秀麗で長身の美丈夫なの」
「へえそう。見たの?」
意地悪い声でそんなことを言う中島くんに、私は微笑みながら答えた。
「だって書いてあるもの。中島くんも読んでみる?」
遠慮しておきます、と中島くんは言ってひょいっと軽く飛び立つみたいに腰を上げた。
中島くんはお世辞にも容姿端麗じゃないし、身長だって平均くらいだ。
私はさよならも言わずに帰っていく中島くんには目もくれずに、須藤さんのちょっとシャープな頬にそっと人差し指を這わせた。
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