十年たまごが孵るまで

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 二十六歳、風の冷たい冬の日に。 「お前そろそろ結婚とかしなくていいの? 嫁きおくれてもしらねえぞー」  うちの親と同じようなことを言う中島くんを睨みつけて、私は「いいひとがいればね」と答えた。 「へえ? いいひとって具体的には?」 「須藤さんみたいなひと」  間髪入れずに答えた私に、ひゃっひゃっひゃ、と中島くんは楽しそうに笑った。 「絶対言うと思った! ええとなんだっけ、眉目秀麗で頭脳明晰で? でもそういえば須藤某って何の仕事してんの?」 「コンサル業……みたいな感じかな」 「たぶんだけどそれ、絶対自営業だろ? 胡散臭えなあ。ちゃんと税金払ってんのかよ」  須藤さんが納税しているシーンなんて読んだことはない。でも脱税しているという描写もないし、須藤さんは真面目な性格だからきっときっちり確定申告しているはずだ。 「そんな男の、どーこがいいのかねえ? その点俺はサラリーマンだからさ。福利厚生手厚いぜえ。住宅ローンも組み放題」 「福利厚生なんて関係ないわ。私は須藤さんの内面を知っているもの。あのひとの、玻璃のようなこころを見てきたもの」  静かに響いた私の声に、中島くんはなんにも言わずに柵にもたれてカフェオレを飲んでいた。 「他人のこころって表面しか見えないじゃない。中身がなんにも分からない福袋みたいな人間を、好きになったりできないわ。私は須藤さんが好きなの。表も裏も、みんな知ってて、理解してるの。でも中島くんは、私の中身を何にも知らない」 「いや俺、これ以上ないほど理解してると思うけど?」  やけにきっぱりとそう言って、中島くんが私の目を真っ正面から見据えた。  なんだか吸い込まれてしまいそうな瞳から目を逸らそうとしたら、中島くんが低い声で言った。 「逃げんなよ」  凍りついたまま私は仕方なく、中島くんのなんだかぐちゃぐちゃにいろんなものが溶けたみたいな目を見つめた。  比喩でもなく文章でもなく言葉ですらないものが、私に直接流れ込んでくるような気がした。 「なあ、分かった? 裏も表もねえんだよ」  きっぱりと言い切った中島くんのふたつの目玉だけが、寒空の下見たこともないくらいじくじくと燃えていた。  冬の夜はいつもより星がたくさん輝いてしまう。  冷たい風にコートの裾を煽られて、私は髪を押さえるついでにやっと中島くんから視線を逸らした。
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