出口のないゆりかご

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 私が運動をはじめようと思ったきっかけは、堕胎手術を受けて一週間後に医師から言われた「あんまり動かないのも良くないですよ」という台詞だった。  処置を受けてからしばらくは安静にしてくださいという警告を忠実に守って、一日中狭い自室のベッドの上でピクリとも動かなかったのに、どうしてあんな苦い顔をされてしまったのだろう。  分からない。  でも、私は診察を受けたその足でスポーツ用品店へと向かった。  私は基本的に、聞き分けが良い。  なんとなく、頭に浮かんだ姿を追ってたどり着いたのはバレーボールのコーナー。  バレーなんてしたことはなかったけれど、観戦はよくしていた。  昔、とても好きだった同級生がバレーボールの選手だったのだ。  初恋だったんだと思う。放課後、体育館で練習する姿をたった一人で遠くから眺めている時間がたまらなく好きだった。  しなやかに伸びた足が、腕が、指先が。  体育館の中を縦横無尽に飛び回る。  でも、彼本人とは卒業するまで一度も喋ることはなかったし、今でもそれは変わらない。  棚の前に立ち尽くしていたら、店員さんがやってきてアレコレと勧めてくれたので言われるがままに買うことになった 。  しかし、ここでひとつ問題がある。  バレーボールは、一人ではプレイできない。  残念ながら、チームを組めるほど友達はいないし社会人バレーに参加するほどの度胸もない。せっかく買ったボールたちは一旦押入で眠ってもらって、私はとりあえず一人でも取り組めるランニングに出かけることにした。  コースは特に決めていない。  店員さんご自慢の、発汗性と防寒性に優れているという矛盾の固まりのようなウェアに身を包んで地面を蹴る。  足が重い。  しかし、言いつけは守らないといけない。  私は良い子で、聞き分けがよくて、人の迷惑になど決してならない人間なのだから。  どこまでが「適度な運動」なのか分からないままに、単調に地面を蹴り続けていたのが悪かったらしい。  どこをどう走ったのかはよく覚えていない。  息苦しさが寄せては引いて、最初はうるさいぐらいだった自分の心臓の音がやけに静かになったと思った時にはもう遅かった。
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