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「お前さんみたいな未熟な母親の元に生まれなくてラッキーって、思ってるかもな。おれみたいに」
「………」
「怒ったかい?」
「いえ……あなたの言うとおりですから。ただ、今までにない価値観だったので、何も返せないだけです」
「お前さんに本当に必要なのは、堕胎後の適度な運動でも健康な食事でもない。それもまぁ、必要なことではあるだろうが……。それよりも、初恋をこじらせてまた節操のない暮らしを繰り返さないことの方が最優先だろうよ」
「………」
「なあ、俺も努力したんだぜ? クソッタレのこの世界をどうにか生き抜くためには、どんな心持ちでいればいいのか」
「答えは見つかりましたか?」
「いいや? どんな偉いセンセーの言葉もどんなベストセラーの言葉も、それはおれじゃない。おれはこのまま、生まれてこなけりゃよかったと思いながら死ぬんだろう。でも、それもまた、人生じゃないか。生まれる前に死んだお前さんの子供も、きっとそう思っているさ」
「………」
男性の言葉は極端すぎるし、私の価値観を通すと受け入れられない意見もあったけれど、そうやって生きている人間もいるのだということは分かった。
「ちょっとは気が楽になったかね?」
「どういう意味ですか?」
「自分より不幸な人間を見ると、ホッとするだろう?」
「あ……」
違います、とは即答できなかった。
「そんなに申し訳なさそうな顔するなよ。おれだって、おれより不幸な人間を見つけてはホッとしているんだから」
「………」
「ま、そんなもんさ。生きるも死ぬもな」
男性は裂けた上唇で器用にたばこを咥えて火をつけた。
一瞬で、狭い部屋はたばこの煙に包まれる。
私が思わずせき込むと、男性は意味ありげにニヤリと笑った。
そろそろ帰りなさい、ということだろう。
私はもう一度丁寧にお礼を述べて、その場を後にした。
お金も何も持ってきていなかったから、帰りは歩いて帰った。
5時間かかった。
ただの一度も、走らなかった。
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