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親分の趣味――かどうかは定かではないが、風流な数寄屋造りである。不器用な手つきながら茶を点ててくれる親分は、ひどく真面目な顔である。
開け放った窓には風鈴が下がっているが風がないため、ちりんとも鳴らない。
ことん、と英次郎の前に立派な茶碗が置かれた。その隣には、山のようにつまれた串団子。こちらは喜一特製だろう。
「頂戴致す……」
不調法を詫びながら、それでもそつのない作法はお絹譲りだろう。その英次郎の目が茶碗の底に留まった。
「親分、これは立派な茶器であるが……まさか、黒織部かな?」
「そうなのじゃ! 長屋で大暴れした幸太を連れ戻して、蔵込めにした際、手当たり次第に奴が投げたものの中にあったのじゃ」
どうやら本物であるらしい。英次郎が恐れおののいてそろりと茶碗を置いた。
「で、どうしたのじゃ? 喧嘩の勝ち方、とな?」
「それがな、親分。それがしの知り合いのおじじが、ちんけな薬売りに看板をとられたのだ」
「おじじとな?」
「あれだ。我が破れ屋敷の三軒向こうにある破れ道場の大先生じゃ」
微妙な沈黙があった。
「……あの屋根すら崩落した貧乏道場を破ろうと思った御仁がおったのか……」
そこではないぞ親分、と、一応は応じた英次郎が、すぐに情けなさそうな顔をした。
「唯一の誇りであった道場の看板を、得体のしれぬ薬売りとやらに奪われたのだ。おじじの沈み具合は大変なものでな」
まて、と、太一郎が手を挙げた。
「若先生はどうした」
「気に入りの子がいるとかで、遊んだはいいが支払いが滞り、大門をくぐる前に男衆に捕らえられ、吉原に用心棒として留め置かれておるらしい」
あちゃー、と、太一郎が天井を仰いだ。若先生がそんな調子であるから、近所の気のいい青年が気を揉んでいるのだろう。
「英次郎、その道場破りは薬売りのふりをしておじじに近づき、立ち会った末に看板を持ち去ったのか?」
「うむ。おじじが言うには、道場に薬を売って歩いているとか言ってやってきたそうな。天然理心流と相手は名乗ったらしいが我流が多く含まれていた『喧嘩剣法』とのこと」
「ふーむ、そやつを倒して、看板を取り返してやろうという腹積もりか」
うん、と英次郎は頷いた。
「もちろんそれがしが勝てばそれで看板は戻る。が、大先生の矜持は戻りはしないだろうが……それがし、おじじを見ておれぬのだ」
「ふーむ……」
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