夏の日の道場破り

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「英次郎、件の道場は間違いなく天然理心流の道場じゃそうな。師範が近藤何某。とにかく今どき珍しいほど剣術熱心な一派で、生粋の門弟よりも客分の方が多いそうじゃ。英次郎が手合わせした色白の青年は、北辰一刀流じゃとか。台所事情は御多分に漏れず火の車、師匠と塾頭が多摩への出稽古でなんとか凌いでいるようじゃ」  太一郎が一気にしゃべった。お絹が労わる様に酌をすると、太一郎が心底嬉しそうな顔になった。 「多摩……たしか、幕府の直轄地であったな」 「うむ。天領ゆえ、村人たちの徳川家への忠誠はそこいらの侍よりはるかに強い」 「さらに、門弟衆の中に薬売りがいることも判明した。『石田散薬』なる薬でな、酒と一緒に飲むと効くそうじゃ」 「聞いたことのない薬ですね、母上」 「そうですねぇ。酒で飲む薬とは珍しい気もしますね」 「それを売っている男が、どうも……いや、氏素性は知れているのだが、素行が……」 「手癖が悪いのか? それとも凶状持ちや島帰りか」 「いや、女で幾度かしくじっておる。ちょっとした色男、女が放ってはおくまいな」 「その男が、道場破りをしたのか」 「……ということになっておるな」  親分の不思議な言い回しに、お絹と英次郎は顔を見合わせる。親分はぼうろの味を堪能しているようで――何か思案している。 「親分?」 「英次郎、再度あの道場を訪ねてな、その色男と手合わせしてみればわかる」  ぽん、とお絹が手を打った。 「親分は、その色男が道場破りではない、何者かが色男を騙って道場破りを行った、と考えているのですね?」 「さすがお絹さま!」  ほほほ、とお絹が楽しそうに笑った。  その翌日、英次郎と太一郎は再び試衛館を訪ねていた。 「親分、ちと、ここで待っていてくれ」 英次郎はそう言い残してすたすたと道場の門をくぐり、門弟に声を掛けて稽古に参加する了承をとってしまった。 鋭い気合が飛び交い、英次郎が次々と相手を変えて激しく打ち合う。 「ああ、英次郎がふっとんだ……さすが屈強な男……にしても大きな口じゃ!」  その男は師範であるらしい。稽古にやってきた通いの門人に稽古をつけはじめた。 「お、優男……荒っぽいが、腕前はそこそこじゃな……鍛錬が足らぬ。む? あちらの青年はいい太刀筋じゃ」
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