夏の日の道場破り

11/11
前へ
/101ページ
次へ
 さらに数日後。やっぱり身元も下手人も不明の男の惨殺遺体が大川に浮かんだ。これまでと同様に三日晒されたあとひっそりとどこぞに葬られた。  三件すべて、大変な怪力の剣士が一刀両断した――としかわからず、江戸の人々は連続殺人かと震えあがったが、その後はぴたりと犯行が止んだ。 「親分! 親分!」  ある朝、蝉よりもやかましい声が、衣笠組の戸を叩く。 「誰でぇ…‥って佐々木の兄ぃか! ちょっとまってくんろ」  すっかり英次郎の顔と名前を覚えた幸太が、いそいそと大戸をあけてくれる。 「親分は奥です」 「かたじけない」  英次郎は、懐から取り出した有平糖を少年の手に数粒のせた。 「うまいぞ。親分にとられぬよう、気を付けろ」  躍り上がって感謝を述べる少年の頭を撫でて、英次郎は奥へと小走りに向かう。 「英次郎、早いな」 「親分、おじじの看板がな、今朝戻ってきた」 「おお、それはよかったな! 祝着じゃ」  英次郎は、敏感に感じていた。親分が纏う気配が少し――これまでと違うことに。 「……親分、かたじけない」 「どうしたのじゃ?」 「いや、南町に無理を言って遺体の傷を見せてもらったときに、もしやと思った」  何のことだ、と、親分は言う。  が、人を斬ったことのある者は、相手が人を斬ったかどうかがわかるのだ、不思議と。  きっと、この親分は誰にも告げず出かけていって、人々に害なす悪党を人知れず斬って捨てたのだろう。  次は一緒に、と言おうと思っていたが、その代わりに英次郎は『お絹かすていら』を太一郎の目の前に置いた。 「おお、今日はまたえらく大量じゃな」 「おじじの看板が戻った祝いゆえ、母上が多めに持たせてくれた」  かすていらを前にした太一郎は、童子そのものである。 「さっそく……頂きます……うーん、美味い!」   【了】
/101ページ

最初のコメントを投稿しよう!

30人が本棚に入れています
本棚に追加