1877年(明治10年)横浜

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1877年(明治10年)横浜

1877年、日本は明治10年を迎えた。 横浜港に降り立ったエドワードは新橋へと向かう汽車の中から、窓の外に見える崖をさきほどから注意深く観察している。おもむろに鞄からノートを取り出すと、付き添いの日本人にこう質問をした。 「この辺りはなんという地名なのか?」 付き添いの日本人はちょうど駅を過ぎたところでもあり、即座に答えた。 「この辺りは大森と呼ばれています」 エドワードはOMORIとノートに書き留めた。 季節は次第に暑さを感じはじめた初夏を迎えている。 新橋駅に到着したエドワードはその足で文部省を訪ねた。そこで帝国大学の教授に就任したばかりの外山(とやま)正一(まさかず)との面談に臨む。 勝海舟の勧めもありイギリスへ留学していた外山(とやま)は、英国訛りのきっちりとした英語でエドワードを迎え入れた。 「ようこそ日本へ、プロフェッサー・エドワード・モース」 二人はその場で意気投合し、エドワードは帝国大学のお雇い教授になることを決め、同時に先ほど大森で見た崖の話を外山(とやま)にもちかけた。 「あの大森の崖は考古学の観点からも非常に興味深い。汽車から観察していた時、キラリと光るものを崖の中に見つけた。何かの思し召しかもしれない」 興味深く聞いていた外山(とやま)は、エドワードの希望を受け入れ、大森の崖の発掘調査を政府に働きかけるよう約束したのだった。 数カ月経ったある日、エドワードは再び大森の地に足を踏み入れていた。 崖の発掘調査を開始すると、すぐにたくさんの貝殻を見つけた。これがのちにモース貝塚としても知られるようになった大森の貝塚である。 それからまた少し時が流れた。
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