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「今までお世話になりました」
なぎは、形式通りの挨拶をして頭を下げた。
「きみの送別会だが……」
「ああ、いいえ、結構です。わたし一人のために余計な経費など使わず、どうぞ他の予算に回してください」
「いや、でも、それじゃあ……」
「本当に結構ですから」
なぎの語尾が強くなった。
あいつの顔なんて、もう見たくもないのよ。
それから、あんたもね。
「わたし、祖母の店を手伝うのに忙しくて、抜けられないものですから。申し訳ないです」
それ以上、課長も勧めるわけにもいかず、決まり文句で別れの言葉を告げた。
花束を受け取り、同じ制服の同僚の女性達、上司に見送られ、二年勤めた職場を後にした。
「山根さん、待って!」
階段まで追いかけてきたのが同僚ならば問題はなかった。
だが、その声は、最悪なヤツだとすぐにわかった。
「辞めたのは、やっぱり、僕が原因……かな?」
最悪上司は、困ったように、首を傾げて見下ろした。
高い位置にある良く言えば切れ長の瞳、ゴワゴワの丸まった髪、ふくらみ、垂れた頬、剃り残しのある髭が点々と目に付く。
「その彼氏ヅラ、やめてもらえません?」
いかに分厚い脂肪の壁をも貫く思い切り冷たく刺さる視線で、なぎが返した。
これまでにない鋭い視線と口調に、男は怪訝そうな顔になる。
「だって、僕たちは――」
「全然付き合ってなんかいませんから。わたしが、一方的にセクハラされてただけですから!」
「ちょ、ちょっと、声大きいよ!」
「助けて欲しいって言ったのに助けてくれなかった課長にも、事を大袈裟にするなってパワハラされたし!」
なぎは階段を一段上がり、肥えた男に近付いた。
「ちょっと、ちょっと、落ち着いて!」
「落ち着いてなんかいられないわよ、バカ! 死ねっ!」
獣のようなうめき声とともに響いた凄まじい重い音に、何事かと社員たちが駆けつけた。
階段の踊り場には、股間を押さえて蹲る巨体、その頭に、数回は叩き付けられたであろう花束、辺りにぶちまかれた花びらと葉、折れた茎は、深刻さとシュールレアリスムが混同していた。
花束のラッピングに貼り紙があった。
『セクハラ男』
なぎの姿はなかった。
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