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#2
僕にはいつの間にか分厚い膜が張っていた。それはそれは表せないほど分厚い。でも外側からは全くと言っていい程分からない。
小学生の僕はただただ嫌な奴だった。友達と遊んでは自分は王様のようだった。他人が嫌がるかどうかも考えず、自分が楽しいと思う事だけをやっていた。周りに流され「〇〇菌」というよくわからないいじめも率先してやっていた。流されている自覚も無く。
とにかく鈍感だった。目や耳に入ったものが全てで、物事や感情の掘り下げが浅かった。
中学生の僕は良い意味でも悪い意味でも無理をしていた。幼馴染は人に関心が無く、期待もしない。他人に対しての妬みも嫉みも無い。とてもできた人間だと思った。僕は羨ましかった。何故そんな事が出来るのか理解ができなかった。その羨む感情すら出来損ないだった。
僕はできた人間だ。何にも期待しない。そう言い聞かせては生きていた。
高校生の僕は周りとずれていた。自己暗示が身に染み付いていたせいか、周りがとても幼く見えた。ただそのズレを隠さずに過ごすことは僕には出来なかった。必死に周りと背丈を合わせていた。
その頃からは好感度は高かった。誰も僕の膜すらも知らずに。
僕は人前で明るく振る舞う。好感度は高い方だと思っている。それが僕にとっては不都合だ。しかし世の中が一番上手くまわる。
今日も分厚い膜を忘れずに身につけ家を出る。
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