「離れがたき、かの愛着」

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 ここは、何処だ。ここは、地獄か?  気がつくと、トバルはうつ伏せで横になっていた。痛む体を酷使して何とか上体を起こす。  そこは大きな広場だった。半永久蓄光石がふんだんにあしらわれたシャンデリアが、高い天井からいくつも下がっている。どうやら昔、王族の一時避難場所として設計された所らしい。  トバルは立ち上がろうとした。しかし、それは不可能だった。全身を打撲した上、左足首と右足の大腿骨は完全に折れていた。  ここが終の住処か。トバルはひとりごちた。逃げて逃げて、逃げ続けて、最後にはひとりぼっちになって、ここで朽ち果てるのか。  それは甘美な誘惑だった。現世におけるあらゆる苦痛からの解放。妹に肉欲を抱いたという罪の意識からの解放。妹の死体を捨てたという癒やされ難い罪悪感からの解放。  ドン、と地下空間全体が揺れた。  その振動は回を増すごとに大きく、頻繁になる。まるで小さな子どもが、貰ったばかりの兵隊太鼓を力任せに打つように。  トバルには、それが何なのかが予想がついた。いや、予想ではなく、直感していた。全身の感覚器官が告げる、脳内で総合されるまでもない生の神経伝達情報。それが彼に、この振動の正体を教えていた。  広場の天井からパラパラと石片が落下してくる。その破片は次第に大きくなり、遂に一筋の亀裂が生まれた。 「おにいちゃん」  そこから覗いたのは、妹とまったく同じ色と形と輝きを放つ巨大な瞳だった。故郷の村祭りで、旅芸人の踊りを見て楽しげにくるくると動かしていた、あの失われたはずの綺麗な緑色の目。  目はギョロギョロと動き、何かを探しているようだった。そして数秒後、動きが止まった。 「おにいちゃん」  ナアマは割れ目に手を掛けた。頭を中へ入れようとしている。先程よりも、妹は大きくなっていた。むしろ、大きくなりすぎていた。頭は目算で直径三メートルは超えており、広げた手のひらは連隊旗のように大きかった。 「おにいちゃん、おにいちゃん」  トバルは這いずって逃げようとした。そんなことをしても無駄なことは分かっていたが、意識せずに体は動いていた。それでも、一メートルすら動くことはできなかった。 「おにいちゃん」  ついに、肉袋を力一杯叩いたような音を立てて、割れ目から妹が降ってきた。
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