「離れがたき、かの愛着」

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 廃村をあとにし、都市ヴァルシヴァに向かう間、トバルは心中、誰に対してでもなく、言い訳をしていた。約束を違えたわけではない。妹の死は私が故郷に伝える。遺体はしっかりと隠してきた。生き残るために、ああするより他はなかった……  しかし、彼の脳内で、彼以外の誰かが、残響音を伴ってこう叫ぶのだ。  お前は妹を捨てた。お前は妹の死体を捨てた。お前は妹の最期の約束を捨てた。お前は妹への愛を捨てた。お前は人間の尊厳を捨てた……  ヴァルシヴァに辿り着いても幻聴は消えなかった。むしろ、日増しにそれは大きくなるようだった。彼の精神は徐々に平衡を欠いていった。  魔王軍は間をおかずウィズドゥラ川を渡河して、都市ヴァルシヴァへ猛攻を仕掛けた。人間軍は城壁で、砦で、街路で、アパルトマンで、工場で、橋で、教会で、ありとあらゆる場所で、ありとあらゆる武器を持って熾烈な防衛戦を展開した。都市は傷つき、急速に死の色を帯びて、崩壊していった。  トバルもまた、戦列に加わった。戦力の払底した人間軍にとって、魔術師は金塊よりも貴重な存在となっていた。  ある日、トバルは、異様な敵に遭遇した。  それは、人間だった。いや、正確に言うならば、それは元人間の、動く死体の軍勢だった。死霊術師に操られていた。  その先頭を歩く死体に、トバルの目は釘付けとなった。あの黒髪の死体、あの一糸纏わぬ生白い死体、あの腹に大穴を空けた、芸術品の如き美しさを誇る死体。あれは、我が妹、ナアマではないか……?  食い入るように見つめるトバル。死体が突然、彼の方を向いた。黒い眼窩には眼球がない。動くはずのない顔面の筋肉をぎこちなく動かして、死体は不似合いなほどに美しい声で言った。 「おにいちゃん」  それを聞いた瞬間、トバルは逃げ出した。呼び止める仲間も、立ちふさがる兵士も押しのけて、彼はひたすら走って逃げた。  その間にも、彼の脳内では妹の声が響いていた。  おにいちゃん……おにいちゃん……  味方の陣地には戻らなかった。数日間、当てどもなく地上の廃墟を彷徨ったあと、トバルはいつの間にか地下水道へと入り込んでいた。
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