「離れがたき、かの愛着」

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 わずか地盤一枚に隔てられているだけなのに、地下水道では地上の苛烈な戦闘と遠く離れていた。兵士たちの断末魔も、魔獣の咆哮も、火力魔法の砲声も聞こえない。蟲の群れが這う潮のようなざわめきと、ドブネズミの鳴き声と、水滴の垂れる音しかしない。  それから、トバル自身の足音。それはどんなに気をつけていても何倍にも増幅されて、地下水道全体に響いてしまう。  力なく、途切れがちの光源魔法を灯しながら、トバルは地下水道を逃げるように歩き回る。  彼は、妹について思い返していた。ナアマは、大人しくて優しい子だった。青い石と燃える空気で有名な村エノクで、双子の兄妹として生まれたトバルとナアマ。勇者一行が来た時、怖がる妹を説得し外へ連れ出したのは、他ならぬトバルだった。  旅は楽しかった。村の外の世界は刺激的で驚きに満ちていた。ただ、トバルにとって、妹が思いを寄せる勇者はまったく気に食わなかったが。  そう、旅が進むに連れて、ナアマは勇者に着実に惹かれていった。しかし、勇者のそばにはいつも寄り添うように美貌の魔術師ルジャがいた。  あの決戦前夜、トバルのもとへ、ナアマは泣きながら戻ってきた。詳しくは話さなかったが、どうやら失恋したようだった。    そんな妹を、トバルは冷たく突き放した。決戦を前にして恋だの愛だの、そういう話をしたくはなかった。妹のめそめそとした軟弱さがいつにも増して癇に障った。そして何より、自分の「最愛の妹」が勇者に惚れているということ自体に、言いようのない不快感を覚えた。  そう、彼はナアマを愛していた。いつの頃からかは知らないが、彼はナアマに家族愛ではなく、一人の女性に対する愛を抱いていた。叶わぬとは知りつつも、禁忌とは知りつつも、ナアマと結ばれ、ナアマと子を成したいと願っていた。  妹を捨てたのは、実はあの時だったのではないか? トバルはそう思った。勇者に思いを寄せ、結果傷ついた妹に寄り添わず、突き放し、さらなる悲嘆へと追いやったあの夜。あの時既に、自分は妹を捨てていたのでは……? 愛する者を傷つける残酷な愉悦を得る代償として……
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