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「美優紀がこれ以上傷つくくらいなら、2度目の結婚の必要は無いと思うんだよ。正のことだって、私も手を貸すつもりでいるしな」
半年と少し前、時夫に正の祖父・誠がそう告げた後、時夫は静かに口を開いた。
「あの……私はそれでも美優紀さんと結婚したいんです。そしてなりたいんです。正君の父親に」
誠の部屋に静寂が広がる。
「ほぅ、どうしてそこまで正君に肩入れするのだ?」
静寂を突き破るかのように誠が問いかける。
「それは、私自身が物心ついた頃からシングルマザーに育てられたからです。母のことは当然、尊敬しています。朝から晩まで仕事に出て家に戻ったら夜遅くまで家事に追われる毎日。それでも私のことを寂しがらせないように授業参観も運動会も皆勤でした。女手一つで私を大学までやるのはさぞかし大変だったでしょう。母には感謝しか無いです」
「それがどう関係するのだ?」
「それでも、母1人ではできないことって結構あったんです。私は小さい頃に野球観戦にもキャンプにも行ったことがありません。キャッチボールだってしたことがありません。また年齢を重ねていけば当然母という『異性の親』だからこそ言えない悩みもあり、それを打ち明けられずに寂しい思いをしたことも。些細なことかもしれません。でもそういう些細なことって、大事だと思うんです。私は正君を育てる上での酸いも甘いも、美優紀さんと分かち合っていきたい」
「しかしそれはわしでも出来ることだろう?」
「いえ、『おとうさん』だからこそ意味があるんです。一番身近な男と女、それももともと他人同士だった2人が愛し合い、信頼し合い、時にはぶつかり合いながらも絆を深めていく姿を見せることで、人を本当に愛する勇気を見せていきたい。僕は正君に、本気で人を愛し、本気で人と関わることのできる人に育ってほしいんです」
「……君は、そういう人間なのか?」
「最初は違ったと思います。でも、最初はそして僕をそのような人間に変えてくれたのだとしたら、そう変えてくれたのは紛れもなく美優紀さんであり、そして正君なんです」
誠は真っ直ぐに視線をぶつけてくる時夫から顔をそらし、口を開いた。
「……君は枕草子の第72段を知っているか?」
「ありがたきもの、はい。存じております」
「……そういうことだ。早く行け。もうすぐ昼だ」
「ありがとうございます」
時夫は深く頭を下げ、誠の部屋のドアを開けた。
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