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似顔絵
今から2年前のこと。5歳の正が丹精を込めてクレヨンで書いた似顔絵は保育園の掲示板で1枚だけ異様に目立っていた。
無理もない。正の似顔絵の下には緑のクレヨンでこう書かれていたのだから。
おじいちゃんいつもありがとう
この日は父の日。遊戯室には園児が描いた「おとうさんの似顔絵」が書かれていた。おじいちゃん、と書かれていたのは正の絵だけ。ほかの絵にはすべて「おじいちゃん」の6文字の代わりに「おとうさん」の5文字が書かれていた。さらに言えば、明らかに額にシワが何本も生えており白髪も目立つ男性の絵を描いたのは正だけであった。
父の日参観が終わると、園児達は思い思いにそれぞれの「おとうさん」のもとへと向かっていく。
「おとうさん、私の絵、どうだった?」
と感想を父親に尋ねる子、
「パパ、ハンバーグ食べたい」
とおねだりする子、
「とーちゃんとーちゃん!帰ったら一緒にゲームするぞ!」
と、アニメのキャラクターの真似をしながらはしゃぐ子もいた。
「正君、帰ろうか」
正は祖父の誠からそう言われて笑顔で頷いた。そして2人は手を繋いで車へと向かっていく。
しかし、正の心にはモヤモヤが残っていた。
それは「おとうさん」という今まで知らなかった単語を知ってしまったから。そしてーー
ほかの家にはあたりまえにいるはずの「おとうさん」が、自分の家には居ないという現実に気づいてしまったからである。
「ねぇ、うちにはなんでおとうさんも、パパも、とーちゃんも、いないの?」
帰りの車の中。正の問いかけに対し、美優紀と誠はばつが悪そうに顔を見合わせる。そして美優紀が口を開いた。
「正のおとうさんはね、遠くにいるの。だからね、会えないんだ」
「ふうん……」
正はそれ以上言葉を紡ぐのをやめた。これ以上訊いたら何かが壊れてしまいそうな、そんな気がした。
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