三、毛羽毛現

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 このビルの二階には確かに、三か月前夜逃げ同然に出て行ったアダルトビデオメーカーの事務所だった空き室がある。チスイがその部屋のことを云っているのかはわからないが、とにかく目で見て確かめねばなるまい。  まるで馬鹿にしている風の対応に多分に怒りは感じていたが、それよりも壁はそのとき、強い好奇心に支配されていた。  ビルに一基だけあるエレベーターは使わず、階段で階下へ。  派手な音を立てて二階に踊り込む。  廊下には角材やらコードやらが散乱していた。壁は一度動きを止め気配を窺った。  物音ひとつしない。  壁は慎重に革靴を履いた足を進ませ、『映像/ポロロッカ』と浮き彫りされた金属板の表札を掲げるドアの前に到達すると、そっと耳を峙てた。  矢張り無音。  鍵の掛かってないのを確認し、冷たいドアノブに手を掛け、ゆっくりと回転させた。きりきりとシリンダーが微かに軋む音が、振動として手を通して伝わってくる。  五ミリほど隙間が開いた。  壁はその隙間から中の様子を見た。  薄暗く、窓からもれる明かりだけではよくわからない。しかしそれでも、無人であることだけは知れた。  ドアを開け慎重に侵入した。  事務用品がほとんど残っている。段ボールに山と積まれたDVDとビデオテープ。型落ちのパソコン。明細書や請求書の束。     
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