三、毛羽毛現

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 用件は他界した旧友の連絡先を教えてくれとのこと。そもそもその旧友の連絡先など知らなかったトモは、丁寧な口調でわからない旨を告げた。続けて自分のスマートフォンの番号を誰から聞いたのかを問うと、治水は壁マサルさんですと素直に答えた。その後ほかに旧友の連絡先を知っている人間に心当たりはないかと尋ねられたが、それには一言わかりませんと答えた。  神経を逆撫でするような、鼻につく聡明さが感じられる口調の主なので、あれやこれやと食い下がってくるかと思いきや、治水は案外簡単に引き下がり、夜分御迷惑をお掛けしましたといったのを切り文句に、治水は電話を切った。  トモは直ぐさま壁に電話を入れ、云いたいことを云って、聞きたいことを聞いて早々と切った。  台詞の練習をしていたのだが、なんだか興が醒めてしまった。  以前所属していた芸能事務所との契約を切り、トモは自分の力で女優業の一からの出直しを計っている。アパートのある土地と同じ町にある小さな劇団に所属をし、その活動の傍ら派遣社員で様々な仕事をこなしながらの毎日。寝る間もない忙しい日々だったが、それなりに充実していた。  忙しい日常は、信じ難き現実も忘れさせてくれる。  トモはひと月前、命を奪われ掛けた。普通では到底考えられない理由で。 「食べられちゃうとこだったもんねえ」  冗談ぽく独り言を云ってみるが、実際今以て思い出すだに肌が粟立つ。  本当に、現代日本では考えられない話だ。ひと月経って思い返してみれば、あの日訪れたあの場所は、もしかすると今のこの日本とは地続きの場所ではなかったのではなかろうか。     
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