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彼は黙然と熊笹の生い茂る山道を歩いた。
と。
オッパショィ、
オッパショィ、
山鳥の声だろうか。
人の声か。
男とも女とも云えぬ、囁きとも呻きともとれる、言葉を発しているようにも聞こえたが、果たして。
彼はゆっくりと周囲を見回した。
薮と、疎らに立ち並ぶ椈の木々。
時折耳元を掠める羽音、足下に人の頭ほどの石がひとつ。
しばらく立ち止まっていたが特に実害がないので再び歩き出した。
やがて幾分拓けた場所に出た。
満月を背に四角く切り取られた矢鱈に威圧的なシルエットが浮かび上がっていた。改めてつぶさに辺りを窺えば、雑草に覆い隠されたコンクリートの門や赤錆だらけの門扉が見て取れた。
どうやら廃病院のようだ。
使われなくなってどれほどの時間が過ぎたのかはわからない。
彼は躊躇なく建物内に侵入した。
外に比べ随分とひんやりしている。
夜目は利くのだが、月明かりの届かない廊下の奥まではよく見えなかった。
時折侵入口のほうから、それは生温い風が緩々と彼の首筋を撫で去っていく。
遠くで鉄扉の軋む音。風か。
壁を見るとスプレーの落書きが目立つ。
結局このような場所を寝床に選ぶのだから、まったくもって酔狂なことだ。
「うん、ちょうどいい」
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