第1話:夕景に奪われる感情

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 彼女が同じクラスの上原美琴(うえはらみこと)である事には気が付いていた。朱に染まる陽の光の中で、彼女はただ夕空を眺めていただけなのだけれど、理由もなくその姿に釘付けになってしまった。そんな僕の視線に気が付いたのか、彼女はゆっくりこちらを振り向いた。ショートボブの後ろ髪が風に揺れ、大きな瞳が僕の視線を捉える。「キミは何を見ているの?」とつぶやいた彼女のインパクトは圧倒的だった。 「僕は……」  あの時、僕は何を見ていたのだろう。世界の色彩が移ろいで行く、その瞬間を垣間見たいと思って、カメラを握りしめていたのは確かだ。そう、あの日も、こんな夕景が僕らの前に広がっていた。 「私はね、この景色の中に溶け込みたいと思うんだ。昼と夜の境界線が消えていく瞬間。ねえ、知ってる?」  彼女の問いかけに僕は何も答えることができず、ただ、水平線に飲み込まれていく太陽を見つめているだけだった。 「太陽の下の端が水平線に触れてから、太陽の上の端が完全に地平の彼方に沈むまで、たった百二十秒」  彼女はそう言って、ベンチから立ち上がると、僕の目の前に立って両手を広げた。たった百二十秒で、世界の色彩が大きく変化していく。一瞬で感情を奪い去っていく彼女の存在が果てしなく眩しかった。  海の向こう側まで続いていた赤い光は徐々に藍色に飲まれ、やがて闇に変わっていく。ふと気が付けば、僕の背中から照らす街灯の光が、真っ黒な砂浜に微かな影を落としていた。  すっかり陽が沈んだ住宅街を抜け、僕は自宅に帰る。誰もいないリビングを足早に通り過ぎ、自分の部屋に入るとベッドにうつ伏せた。     
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