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そこには異様な沈黙だけがあった。 エレベーターに乗り込み、目的地は地下二階にあたる、研究者以外のほとんどの職員が働いている主要フロアだ。静かであることはおろか、目の前の景色に人が一人もいないことなんて普通ならありえない。 誰かいないのか。 声を出していない時間が長すぎて、音にならなかった。慎重に歩きながら辿り着いた食堂の食器返却口に空のマグは置いた。ここまで徹底的に誰もいないことはこれまで一度もなく、いくら世間に疎くてもこれは異常事態だと分かった。歩いて回ってみたが、ところどころ機械が故障していた。どういうわけか警報も力尽きているようだった。どうも様子がおかしい、たとえ今日が休日でも、持ち回り制である程度の人数はいるものだ。例えば自分のような篭りきりの研究者の世話もしなければならないし。まさか災害やストライキでもあったのだろうか。ニュースもラジオも一切触れないから分からない。最後の切り札、事務室も無人だった。おかしなことに誰かがいた痕跡はある。鞄の中身はなぜか床に散乱しており、誰かのコーヒーはデスクに飛び散っていた。人だけがいない。とりあえず誰かの机から、電池を拝借して白衣のポケットに入れた。 そうしてまたエレベーターに乗って、何年ぶりかの地面に降り立った。相変わらず無人の受付、エントランスを抜けるとこれだ。全て終わっていた。 立ち尽くしていることしかできない僕の目の前には沈まぬ夕陽が煌々と輝き、鉄筋コンクリートのガラクタの山を焼き尽くさんとしていた。この世界の終わりはいつだって良くも悪くも壮大でドラスティックに描かれてきたから、そうだと思い込んでいたのに、大津波も巨大地震の形跡もなく、意味もわからず、何がこうさせたのかと疑うような見渡す限りの血と泥の海が広がっていた。人はよく見るとそこら中にいた。ブルーライトに目を刺されすぎておかしくなってしまったのかと思っていたが、そこら中にバラバラになって落ちている。
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