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カランと、氷が手の中のグラスに当たって澄んだ音を立てた。夜の空気が体を包み、少し暗い部屋の中に、二人の声だけがぽっかりと浮かぶ。見慣れた畳の部屋の中、明らかに異質なテオドールと、その部屋の主は向かい合って酒を傾けていた。ひんやりとした酒が、胃に落ちていく。少しだけ、喉に熱さが残った。
「……あいつは、本当にずるい男だったよ」
静かな声で、テオドールは言った。向かいに座る平平は少しだけ眉を下げて答える。
「そんなところを知っているのは、たぶんお前だけだよ。俺の中じゃあ、あいつはえらく不器用で、その癖他人を幸せにするのは人一倍上手な男だったさ。ずるい男だとすら思わせてくれやしない」
同じように思ってもいることを、テオドールは口に出さなかった。しかし、平平もそれをわかっているのだろう、ふっと口元を緩めて、喉を鳴らした。
「与えるばかりの哀れな男が、お前からだけは欲しがったからな」
受け入れてやれなかったのか、と言われている気がしてテオドールは眉を寄せた。
「……幸せに、なって欲しかった。普通に好きな女性と家族を作って、仕事に追われたりしながらも、一生懸命生きて、笑って……誰よりも、幸せになって欲しかった」
吐き出した空気を吸い込む。その空気は重たいはずだったが、在りし日を懐かしむその空間は、テオドールを少しだけ暖めた。確かにあったその日々を、間違いではないといわれている気がした。結露したグラスの側面を水滴が伝って机に水溜りを作る。それを指先で少し拭って、その冷たさをテオドールは自分のようだと感じた。
「夏は熱さでその手を焼く。冬は氷みたいに冷やしてしまう。暖かいのは俺だけだ。俺はあいつの優しさや愛を奪うだけ奪って、何もやれない。」
際限なく彼の優しさを食い潰すだけ。それは幸せとは呼べない。少なくとも、テオドールといるよりはよっぽど幸せな未来を得たはずだった。テオドールの望み通りに彼は幸せな家庭を築き、孫を可愛がり、多くの人に囲まれた。それでも時々影を背負って感じられたのは、テオドールなどと関わってしまったから。こんな惨めな物にすら情けをかけてしまう優しい人だったから、無駄な心を割いてしまったのだ。
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