<第一章> 夢の出会い(3)契約の恋人

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   トワは、男のことを『ショウ』と呼んだ。  本名は矢吹翔一(やぶきしょういち)。まだまだ無名の画家だった。  両親も亡くし、四十を過ぎても縁談なども断り続け、栃木の田舎町で独り寂しく暮らしていた。  男は、全国的にも希少な芸術系公立高校に20年近く勤務した。普通高校の芸術科目の教師は、非常勤講師としての採用が多いが、この芸術高校では本採用であった。  そんな恵まれた美術教師の仕事もこの春辞めて、親の遺産を食い潰しながら暮らしていた。  何故、安定した生活が保障されていた教育公務員の仕事まで棒に振ったのか。男は残りの人生を、画家の道に懸けたかった。それは悲願であったのだ。  5年前に亡くした父親も、芸術の道を目指していた。名もない書道家だった。町の助役を務めていた父は、政治の世界に時間を取られ、その仕事の傍らで書道を趣味として嗜むしかなかった。  しかし、本当の父の夢は、書の世界で名を残したかったのである。そんな父の背中を見て育った男は、父の思いを知って、その成せなかった夢の分まで、同じ芸術という孤高の世界に身を投じたのであった。  トワとの交際が始まると間もなく、男は彼女をモデルに肖像画を描き始めた。  それは魂で描く、まさに天女の絵であった。そのためにも、毎週のように彼女と会う必要があった。  でもそれは表むきの口実で、建て前と言うのか、とにかく男は、愛しいトワに逢いたかった。  男は、逢いたくて、あいたくて、会いたくて待ちきれない。  毎日のように携帯メールを彼女に送った。メール文の最後には、いつも決まって、ある一言を添えていた。    
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