特等席

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 高校三年生の秋。クラスメイトの話を聞きながらコロッケパンをかじっていると、ケータイが鳴った。そういえば電源を切っておくのを忘れていた。続く音が鬱陶しい。今からでも切ろうと思ったら、内容だけでも確認したらどうだ、と話していた当人が勧めるので画面を見た。  友人の一人から、週末にある地元の祭りの誘いだった。受験のストレスがたまっているのだろう、次々と参加表明されていく画面を見ながら、手早くメッセージを打つ。 ――スズと行くから、パス。  すかさず、人数分「シスコン」の四文字が送られてくる。うるさいケータイを今度こそ切って、一馬はそれをバッグの中に放り込んだ。  去年は、鈴とその両親と一馬の四人で祭りに出掛けた。鈴の父親は一馬が小さい頃から射的が得意で、変わらぬ腕前に鈴は手をたたいてはしゃいでいた。しかし、今年は鈴と二人で行くことになっている。新しい浴衣を買ってもらったという鈴が、「デート」だと宣言していたからだ。  当日の五時過ぎ、一馬が鈴を迎えに行くと、玄関で出迎えてくれた鈴の母は、心配そうに表情を曇らせていた。 「カズ君、ホントに良いの? やっぱり私も行こうか?」 「大丈夫っすよ。はぐれないよう、しっかり手をつなぎますから。」 「そうじゃなくてね、鈴と二人っきりじゃ、せっかくお友達に会っても一緒に遊べないでしょう?」  思ってもみなかったことに、一馬は一瞬だけ目を見張った。思い返してみると、去年友人達とすれ違った時も、あっちに合流しても良いと言われたような。一馬はすぐに笑みを取り戻した。 「あいつらとはしゃぐより、俺はスズとゆっくり回る方が好きですから。」 「そう?」  心配を上手く拭うことは出来なかった。鈴の母の顔は晴れない。それでも、これ以上言葉を重ねることは難しいと思ったのだろう、握りしめていた小さな財布を手渡してくれた。 「これ、好きに使ってくれて良いからね。」 「ありがとうございます。」  落とさないように、鍵を付けているチェーンとつなぐ。 「ところで、スズは?」 「なんか、もじもじしちゃって。鈴ーっ。そろそろ出て来ないと置いてかれちゃうわよーっ。」  置いて行く訳がない。口にせず、苦笑するに留める。  慌てた足音をパタパタと響かせて、鈴がリビングから駆けて来る。白地に赤い丸が散った浴衣に、赤いふわふわした帯を締めている。帯は去年と同じもので、淡く色の抜けた端が鈴の跳ねるのに合わせて柔らかく揺れるのが、金魚のひれのようだった。 「もう。そんなに走ったら崩れちゃうでしょう?」  そのまま土間に降りて下駄を履こうとした鈴を捕まえると、母親は浴衣を直し始める。  一馬は、赤い丸に柄があるのを認めて、最初は水風船なのだと思った。しかし、それは白い梅の花が描かれた緋色の”鈴”だと一拍空けて気がついた。  探したのか、たまたま見つけたのか、彼女の名前に合わせた柄。派手さはないけれど、赤が鮮やかに染めぬかれて美しい。大きな鈴がコロコロと転がって、周りにピンクやブルーの小さな花が散っている。  妹分が元気に走り回っている姿が連想されて、一馬は笑みをこぼした。母親から解放された鈴が、きょとんと目を瞬かせて一馬を見上げている。 「よく似合ってる。」 「ほんとっ?」  大きな目がぱぁっと光を散らす。うなずいてやると、まあるいほほを上気させて、きゃーっと声をあげた。花の形の髪飾りを避けて、頭をなでる。 「さ、行こう。」  差し出した一馬の手を、小さな手がきゅっと握った。  ***  歩きながら食べるのは鈴には難しいし、何より転んだ時に危ない。一馬は道の端の縁石に腰かけて、隣に座る鈴がチョコクレープと戦っているのを見守っていた。といっても、半分はすでに一馬が引き取っているので、鈴は優勢である。  次はしょっぱいものを食べたがるだろうか。いや、向こうにあるスーパーボールすくいをやりたがるだろうか。視線をちょっと鈴から外し、並ぶ屋台を追う。 「ごちそうさま!」  空っぽになった包みを見せる手も、なぜか誇らしげな顔もベタベタとクリームが付いてしまっている。一馬は出掛けに渡されたウェットティッシュで、それらを奇麗に拭ってやった。包みと一緒に、辺りに設置されているゴミ箱へ捨てる。  手をつなぎ直して人波へ戻る。鈴が屋台の一つを指差す。 「わたあめっ!」 「ん、食べる?」 「んーんっ。いまじゃないの。わたあめおっきいから、おとうさんとおかあさんとたべる。」 「じゃあ、帰る時に買おうな。」 「うんっ。」  こくりっとうなずく鈴に微笑んで、先へ促す。 「飛野君?」  声と共に横から誰かが進み出てきた。聞き慣れない声だったが、呼ばれたからには無視する訳にもいかず、立ち止まる。  深い青の浴衣に黄色の帯、クセのない黒髪は肩で切りそろえられている。少女は一馬の顔を真っ直ぐ見つめて、もう一度「飛野君。」と呼んだ。しかし、一馬には相手が同い年くらいであることしか分からない。鈴が両手でぎゅうっと一馬の手を握った。  少女は驚きに目を見張って、でもうれしそうに正面に立つ。 「久しぶり。来れないって聞いてたのに。」  どうにも正確に情報が伝わっていないようだが、一馬が友人の誘いを蹴ったことが、どうして知らない少女に伝わっているのだろう。考え込みそうになって思い出す。あの誘いには「女子も来るから来い」という一文があった。この少女はその女子の一人か。  押し黙る一馬を、驚いていると判断したらしい、少女は慌てた様子で言葉を重ねる。 「三年ぶりだよね。知ってるかな、ナホと寺島君が同じ高校なんだよ。それでね、寺島君達とお祭り行くからって、ナホが私も誘ってくれたんだ。」  寺島は友人の一人で、祭りに行こうと今回最初に言い出した奴だ。ナホというのは、彼の話によく出てくる高木の下の名前だったはずだ。この交友関係から見て、少女は中学の時のクラスメイトなのだろう。見覚えがあるような気がしてくるが、やっぱり思い出せない。 「あのね、良かったら……」  照れ隠しにうつむいて、そこでようやく少女は一馬に連れがいることに気がついた。大きな目にじぃっと見つめられて、あ、と息を飲む。言葉が空く。自分の勘違いを取り繕おうと、瞳が泳ぐ。 「……あの、待ち合わせ、すぐそこで、その、妹さん、一緒でも良いと思うし、飛野君も……」 「いや、俺は」  遠慮するよ。続けるはずだった言葉がするりと抜け落ちた。  片手を捕まえていた熱が、すっと離れたからだ。途切れた一馬の思考に悲鳴のような声が被さる。 「かえる!」  声に釣られて見下ろすと、大きな目に涙の膜が張っていた。真っ赤になった顔で、大きく息を吸って、鈴は叫ぶ。 「わたし、かえる! さきにかえるから!」  白い袖と赤いひれがふわっと翻った。鈴が来た方へと駆けて行く。 「はっ? おいっスズ!」  小さな白と赤はあっという間に人波に沈んでしまう。ほうけている推定元クラスメイトのことなんて構っていられない。一馬も慌てて駆けだした。  日の傾いた道を泳ぐ白を、必死で追う。屋台が途切れる区画で、鈴は横切った男性の足に自身の足を引っかけて、べしゃっと転んだ。自分のせいかとうろたえる男性に、追いついた一馬がすみません、と頭を下げる。鈴を抱き上げて立たせた。 「ほら、スズ。人の多いとこで走っちゃダメだって、おばさんも言ってたろ。」 「ごめんなさいぃ……。」  痛みのためか、他の理由か、ぼろぼろと涙がこぼれていく。 「俺にじゃないだろ。」  ため息混じりに指摘すると、しゃがんだ一馬の肩を支えに、鈴は男性を振り返った。 「ごめんなさい……っ。」 「いやいや、こっちこそごめんね。」  男性は恐縮した様子で連れの女性と逃げて行く。女性の方は心配そうにチラチラとこちらを振り返っていた。  一馬は正面からケガの有無を確かめると、パタパタと土ぼこりを払った。髪飾りが落ちているのを見つけて、拾いあげる。ひっくひっくとしゃくりあげる鈴の手を引いて、道の脇に避難する。  再びしゃがんで、目元を擦る小さな両手を捕まえた。 「びっくりしたぞ。急にどうしたんだ。」  手で顔を隠せなくなった鈴は、ぐっと唇を引き結んでうつむいた。まあるいほほを、涙が後から後から伝っていく。  一馬はため息をついて、落ちてきている前髪を髪飾りで留めてやった。さっきと位置が変わったが、まあ良いだろう。 「怒んないから、言ってみ。」  鈴が手をぎゅうっと握りしめる。 「ほん、とは……スズはおかあさんと、いこうって……おかあさんが……。カズにい、おともだちといっしょって……。そっちのが、いいって……。カズにい、もうおっきいのに、かぞく、で、いくの、おかしいって……っ。」  懸命に言葉を紡ぐのに、のどが引きつって度々途切れる。話し切ったのか、堪えられなくなったのか、ひぃぐっと大きく声を跳ね上げて、鈴は取り戻した両手で口を塞いだ。  鈴の手を引いて外遊びに連れ出した回数は数え切れない。お使いにだって行った。二人きりのお出掛けなんて珍しくもないのに、兄貴分と祭りに行くのを「デート」と称すなんて、女の子らしいおませだと思っていた。  一馬を友人達に譲りたくなくて、誰にも文句を言われたくなくて、考えついたのが、家族ではなく恋人としてデートに行くことだったのだろう。  そうして武装した幼い乙女心は、少女の登場と発言で挫けてしまった。 「ごめんなさい……ごめんなさい……」  涙混じりで小さく繰り返される。一馬はぐりぐりと鈴の頭をなでた。 「何を謝ってんだよ。」 「カズにい、いっしょ、わがままいった。おともだち、まってたのに。」  鈴の涙は止まらない。一馬が思っている以上に、鈴の両親は一馬が鈴に時間を割いていることを気にしていたのか。一馬が知らない所で鈴は注意されていたのかもしれない。  一馬は指で涙を拭おうとして、拭い切れないなと、ポケットからウェットティッシュを取り出した。涙でベタベタになったほほを拭う。またぽろりとこぼれた雫に、ハンカチを持ってくれば良かったとぼんやり思う。 「ワガママなんかじゃないだろ。友達と行くのはちゃんと断ったんだ。俺もスズと来たかったんだから。」  ぱちぱちと鈴が目を瞬かせる。  自分はどこかおかしいのかもしれない。  友人達の言う子守りを、苦に思ったことなんて一度もない。  自分を前にはにかむ年頃の少女より、まるいほほを真っ赤にしてきゃーっと喜ぶこの子の方が可愛い。  自分を真っ直ぐ追いかける大きな目が可愛い。  自分にすがりついてくる小さな手が可愛い。  幼い心にもて余すほど自分を想ってくれる、鈴が愛しい。 「俺はスズとのデート、楽しみにしてたよ。」 「……ほんと?」  特別意識していたわけではないけれど、いつだって鈴と出掛けるのは楽しいし、可愛い背伸びを否定する気もなかった。 「俺がスズにウソついたことあるか?」  小さな頭が横に振られる。その頭をくりくりなでる。 「だろ? 知らない人に何言われたって気にしなくて良いんだ。むしろ、鈴は怒って良かったんだぜ、邪魔すんなって。俺もスズもデートだと思ってるなら、それはデートなんだから。」  涙はとうに止まっていた。赤くなっている鼻を拭ってやる。一馬は笑みをからかうものに変える。 「でも、怒りのあまり、彼氏ほっぽって走りだすのはNGな。」 「……ごめんなさい。」  しゅんっとうつむいてしまった顔を、髪をかき上げるようになでて上向かせる。 「手をつないでくれたら、許してあげる。」  ぱっと飛びつくように手を取られた。ぎゅうっと力が込められる。応えて一馬も握り返す。 「んじゃ、スズ。次は何食う?」 「……タコヤキ。」 「おし。あの店で良いな。」  一馬は立ち上がりながら、きょろっと辺りを見た。一番に目についた屋台へ向かう。鈴が振り返って後ろをうかがう。少女を探しているようだ。一馬は強く鈴の手を引いた。  一舟頼むと威勢のよい声が返ってきた。まん丸のタコ焼きがひょいひょいと軽やかに舟に乗り込む様を、鈴がきらきらした目で見つめている。一馬のポケットでケータイが震えた。  この近くにいるだろう友人からメッセージだ。鈴に500円玉を握らせて、自分はちょっと端に避ける。 ――すずちゃん、大丈夫か?  件の少女は無事友人達と合流したようだ。 ――平気。捕まえた。 ――良かった。  良かった、と口々に安堵の言葉が送られてくる。心配をかけたことをわびる。 ――二人もこっち来いよ。  誰かの一言に、行かない、と返信しようとして指が止まる。  一馬は考え込むように視線を下へと逃がした。そこにひょこっと鈴が入り込んでくる。 「カズにいっ。ハコがすっごくあっつい!」 「焼きたてだからなぁ。ヤケドしないように、気をつけような。」 「うんっ。」  カツオブシやらがはみ出ている箱を大事そうに抱えて、鈴が道の端へ向かう。一馬はさっとメッセージを送ると、ケータイをポケットに戻した。 ――デート中。邪魔すんな。  タコ焼きを食べている間、ずっとポケットの中が騒がしかった。  ***
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