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春風と、猫と。
『すぐに帰ります。心配しないでください』
そこまで打ち込んで、ふと窓から見える景色を見やった。
矢のように過ぎていく夜の住宅街を、暗い水を湛える川を、流星のごとく駆け抜ける街頭を、ひとつひとつ眺めながら、小さくため息をついた。
まるで、映画みたいな光景だ。
自嘲気味に口の端を上げ、もたれている扉に頭を預けた。
それから、呼吸を潜めて液晶画面を見つめた。もう一気にやってしまおうと、送信ボタンを押す。送信完了の表示を確認するやいなや、携帯の電源を切った。
これでいい。少しは時間を稼げるだろう。
そう思って、携帯をパタンと閉じた。
その時だ。
すぐそばで、似たような音を聞いた。
時代遅れなその音に顔を向けると、僕と同じように、旧式の携帯を持っている女の子と目があった。
くりくりっとした大きな目は、驚きに見開かれている。まぁ確かに、パカパカケータイと呼ばれたこれを持ち歩く人はもう少なくて珍しいだろう。僕は気まずくなって、そっと彼女から目をそらした。
でもなんだか気になって、ちらちらと見てしまう。
彼女は翡翠色のマフラーを左手にかけ、右手には閉じた旧式の携帯を持っていた。手首できらりと光ったのは、きっと腕時計だ。流れるような長い髪は、腰近くまで伸びている。その髪は蛍光灯に晒されて、薄茶色に見えた。ベージュ色のコートから覗く足は、きゅっと引き締まっていて、大きな革のブーツがアンバランスに見える。
顔は、なんというか、美人だ。
ぱっちりとした二重に、すらっとした高い鼻。僕とそう変わらない身長も相まって、モデルさんかな、と疑いたくなる。ただ少し不思議なのは、車内なのに白いポンポンつきの青いニット帽を脱いでいないことである。暑苦しくならないのだろうか。
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