井戸に捨てられたもの

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 今では誰も手入れしていない井戸を眺め、私は一人、ワンカップ酒を片手に「ざまぁみろ」と嗤った。  あれから10年。村も過疎化でほとんど人はいない。私の実家も早々に引き払って潰したが、井戸だけはまだ埋められてなかった。多分、誰も開けたくなかったのだろう。  しかしそれも最後。村自体がダム建設により潰されるのだから。真実はダムの底へ。なんという完ぺきなミステリーか。  さて、カップの中が半分を切った。最後の手向けとして、井戸へ残りの酒を注ぎ入れることにした。蓋を少しずらしたあたりで、蓋の裏から「ガリッ……ガリッ……」と引っ掻く音が聞こえた。  私はびっくりしてカップの瓶を落としてしまった。靴に酒がかかる。気のせいかと思い、耳を近づけるが、気のせいでないこと知った。むしろ、蓋が勝手に開こうとしているではないか。これは母の怨念に違いない。私をあっちの世界へ引きずりこもうとしているのだ。そうはさせるか、必死に蓋が開かないように体で覆うように抑える。  何かが引っ掻く振動と音が間近で聞こえ、背筋が凍る。しかし、ここで力を弱めたらそれこそ死が待っている。 このままでは開けられてしまう、足を踏みかえ、力を入れなおそうとしたその時、足元に転がっている瓶のことを忘れてしまっていたのだ。それを力いっぱいに踏んでしまった私の体勢は崩れていく。一気に蓋が開けられる。  嗚呼……お母さん、ごめんなさい……。  ―――――  ―――  あら、結構育っているじゃないの。元気でよかったわ。  あの日、捨てられなかったらこんな世界知らなかったわ。  まさか、私が住んでいた世界が小人の国で、こっちの世界が天国だなんてね。  ありがとうね、こっちの世界に来るだけで大きくなって、しかもずっと幸せでいられるもの。  あなたもこっちへ来なさいよ。  そっちの世界は窮屈でしょ?  ―――  ―――――  井戸だと思っていたものは、巨人の国へとつながる覗き穴で、あけられた蓋からは大きくなった母の目が私を見つめていた。私は急いで蓋を閉じて、今日この一瞬の一切を忘れようと誓った。そして喧噪が支配する都会へと身を沈めていった。
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