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「ねえ、だいじょうぶですよ。怖いことなんてありませんわ」
ちょうど真上に目をさましていたひとつの花が、かわいそうがってささやきました。これは桃のいっとうちいさな娘でした。ヨタがはっと見上げますと、花は枝にお願いして、ほんの少し垂れてきたところでした。枝はずいぶん気をつけてやっていましたが、娘が無理に首をかしげたせいで、また一枚花びらが散りました。少女のくちびるのような花びらは、そっとヨタのまぶたに乗ったのです。
「わたし、あなたのお母さんならよかったんですけど。頬をなでてさしあげたいのに、届きそうにありませんね」と花は残念そうに言いました。
ヨタはおそるおそる手をのばし、つま先立ちして、ちょっとだけ花にさわりました。朝露をぬぐわれると、花は何だかくすぐったいような気持ちになります。
「ぼく、実をとって帰らなくちゃいけないんだ。お母さんが待っているんだよ」
急にヨタがこんな無茶を言ったので、花は驚いてこたえました。
「まあ、だけどそんなのはもっと先ですよ。わたしたち、今日や明日実るわけにいきませんもの」
「うん、うん」
ヨタはうなずきました。ヨタだって本当は知っていたのです。桃の実は、八月まで待たなければ色づきやしないでしょう。けれどお母さんの言いつけは守るように、お父さんにきつく言われていたのでした。ヨタはうなってうなって考えました。
「それじゃ、ぼく、ここで待っていてもいいかな。そしたら、きみ、ぼくのところへ落ちてきてくれるだろうか」
花はしばらく黙っていました。何しろ果実というものたちは、食べてもらうために生まれるのです。(今までわたしの姉妹たちが山の外で食べられたという話は聞かないけれど、それが悪いことだとも聞いたことはない。それなら、まだ花のうちに約束をしてもいいのじゃないかしら。この子は、だって、とても心細く思っているだろうから)と花は思いました。いつの間にか空のてっぺんに来ていたお日様が、やんわりとひかって微笑んでいます。
「ええ、お約束しますわ」花はそっとささやきました。
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