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第一話
つい先刻まで乗っていた汽車は、盛大な煙を吐き出し、夕暮れのプラットホームを出て行った。
うちは、父から借りた革の旅行鞄を「よいしょ」と持ち直し、駅の手洗いへ向かった。
洗面台の上にかかっている鏡は古びている上に磨かれてもいなかったので、ぼんやりとしか姿を映さなかったが、それでも自分の顔が煤で黒く汚れていることだけはわかった。
……白粉でもはたいたら、この幼な顔も、ちいっとは年頃の娘んように見える思うたけぇ。
朝から姉の典江に手伝ってもらって化粧をしたというのに。
うちはため息を吐いた。
でも、仕方がないので、蛇口をひねり水を出して、ピシャッピシャッと顔を洗う。
冷たい水が思いの外、心地よい。
車内に煙が充満しないように、トンネルを通過する度に窓を閉め切っていた汽車の中は、蒸し風呂のようだった。
この夏の暑い最中に、着物で来たのが間違いだった。
したたり落ちる汗で、襟元はぐずぐずになっていた。
手巾で顔と首を拭い、襟元を直したら、手洗いを出て、改札口へと向かった。
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