関行男、誕生。

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1921年、8月29日。気温は25.3℃くらいだろうか。この日、愛媛県新居郡西条町(現愛媛県西条市)に後に神風特別攻撃隊の一隊である敷島隊を率いることになる関行男が誕生した。 父の名は勝太郎。母の名はサカエと言う。幼少期、父は古物商の仕事の関係で大阪へ行っていたため母と2人きりで過ごした。しかし生活を支えるため母も草餅の行商を行なっていたため、日々忙しく構ってもらう暇もなく行男は愛に飢えていたという。 父母ともに行男には厳しく当たり、父は行男によく手を上げた。母はそれを黙認し止めようとしなかった。それには、他界した他の兄弟への期待を一身に背負っており立派に育って欲しいという願いがあったのではないだろうか。 そのためか幼い頃から勉強もでき、運動も得意でどちらともで賞を取る程の神童であった。旧制西条中学では級長(その組の中で勉強の出来る生徒)を務めたり、庭球部に所属し、地元ではなかなかの好成績をあげ、全国大会にも出場したほどである。その結果も極度の負けず嫌いであった故であり、全国大会で敗戦した際、勝負に負けると人目も憚らず涙を流す程激しい気性だった故なのだろう。 そのような姿からは想像も出来ないが、日記にはその日見えた風景や感じたことなどが繊細な程に記されていたり、1人の女性を長い間慕い続けるなど年相応な精神性も持ち合わせていた。感受性豊かな少年だったことが伺える。 このような激しく繊細な少年が、本来の関行男だったのだろう。 物語は旧制西条中学に通っていた頃の話から始まる。
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