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「捨てたものにだって執着することはたくさんあるはずだよ。その方がつらくない? もう取り戻せないんだから」
「30年以上生きてきてるけど、そんな経験したことない」
「『もしかしたらいつか必要になるかも』とか『取っておけばよかった』とも思わない?」
「うん。『長いこと大事に持ち続けてて無駄だったな』って思うことはあってもね」
集さんが私のことを「わからない」と言うように、私も集さんの考えが「わからない」。言葉の意味はわかる、そうすべきなのもわかる。でも自分の部屋にある物たちを、ゴミ箱に放り入れる図を想像するだけで冷や汗が吹き出るのだ。
反射的に車内に逃げ戻ろうとした私の肩を掴み、集さんは「ダメ元で言うけど」と身を乗り出してきた。
「全部、捨てに行ってあげようか。意外とへっちゃらかもしれないよ」
「私は集さんとは違う」
「このままあれこれ溜め込みながらずっと生きてくなんて無理だって。いい加減さ、あんたも『捨てる側』になろう。あたしに任せてくれれば1日で部屋を空っぽにしてあげる。それで、もし後から『取っときゃよかった』って思ったらあたしのせいにしなよ。集さんが捨てたせい、って」
集さんがこんなに踏み込んでくるのは珍しい。これまでつかず離れず、ずっと微妙な距離感でやってきたから。だから付き合い続けてこられたのかもしれないけれども。
私はとにかく「捨てる」という選択肢を捨てたいだけ。そうでないと不安で息ができなくなってしまう。物心ついたときからずっとそうだ、たくさんの物に囲まれていないと落ち着かなかった。
でも集さんが言う通り、私がやっていることには遠からず限界がくる。置き場所がなくなって物が家から溢れ出て、隣近所から「処分しろ」と詰め寄られてからでは遅い。割りきるのが下手な私には、その場で決断などできやしないから。
私が何より恐れているのは、これまで必死に価値を見出そうとしてきた物たちが強制的に捨てられて、その後にひとり取り残されること。
そんな目に遭うくらいなら、ここいらで、いっそ“全て”を先に手放してしまいたい。
捨てることを何より愛する彼女に、この不安ごと棄ててもらえるのだとしたら本望じゃないか。どうして今までこの方法を思いつかなかった。これなら、私もちゃんと誰かの役に立てるということだろう?
この世の不要物なんかじゃなかったということだろう?
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