ある男

2/2
前へ
/2ページ
次へ
男は、机にうつ伏せで眠っていた。 目を覚ますと、そこは薄暗く窓一つ無い部屋であった。 部屋の広さに比べ、不自然な程天井は高い。 伏せて眠っていたために、少しだけ汗をかいていた顔に当たる、どこかカビ臭いひややかな空気に男はそう思った。 伏していた机は、二十人も座ることができるような長机であった。 目を凝らすと、対角線上の斜め向かいに一人、女が物言わずこちらを向いて座っているのがわかった。 その女は、雪のように白い肌が、和装の喪服と肩まで伸びた黒髪でより映える、ついぞ見たことのない均整のとれた美しさであった。 「世界が滅びる」 男は、そう確信した。 その刹那、背後から唐突に尺八の音がいくつも聴こえ始めた。 幾人もの虚無僧である。 虚無僧らは、一列に女の方へゆっくりと尺八を奏でながら歩を進めだしたかと思えば、特段女を気にかけることも無く、やがて部屋を囲んだ。 男は、このとき始めて正しい部屋の広さを理解することができたと同時に、恍惚の表情を浮かべた。 深編笠により、虚無僧らの表情を確認することはできないが、彼らと心通わせることができたという思いを抱いたからである。 そのような満足感に男が浸っていると、一人の虚無僧が南無阿弥陀仏を唱え始めた。 すると、周りの虚無僧もまた一人、また一人とそれを唱え始め、やがては部屋に響き渡るほどの音量となった。 相変わらず、女は男の方を向いている。 「もう大丈夫だ」 そう、男は確信し、再び机に伏して眠りについた。 虚無僧らの唱える南無阿弥陀仏は、いつまでも終わることがない。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加