1 はじまりのはじめ(刈谷 湊)

3/27
22人が本棚に入れています
本棚に追加
/106ページ
 刈谷湊(かりやみなと)金山朝陽(かなやまあさひ)は従兄弟同士だ。湊の母と朝陽の父が兄妹、この同居は湊が物心着く前から始まっていた。  この家には湊と湊の母、湊の母の兄の家族、そして敷地内の別宅に湊の祖父母が住んでいる。別宅といっても小さな平屋だ。  一階に降りた湊は、跳ねてしまった髪を後で一つに縛りながら洗面所へ向かう。ここでもたもたしていると渋滞が起きかねない、この家は人が多いのだ。さっさと顔を洗うといい匂いのする方へと足が向く。  一家の朝は殊更賑やかだ。リビングルームに置かれたテーブルには朝陽の二人の弟達が並んで朝食を摂りその向かいには叔父が座り、後のソファーでは祖父が新聞を読んでいた。 「おはよう」  リビングに入ってきた湊に声を掛けたのは、キッチンに居た湊の母の史子だ。おはようと小さく返せば、それよりも大きな声が掛かる。 「みな兄おはよー」 「おはよう、ねぇ、みなにぃ今日は遅いの?昨日ゲームしようって言って出来なかったじゃん、今日は?」 「……ん、んー……え、えと……きょうは……」 「今日も遅い、お前らゲームしてないで勉強でもしてろ」  朝陽が割って入る。 「兄ちゃんには聞いてないよ!」 「えー、遅いんだ……」  実兄の朝陽よりも、湊に懐いている中学生と小学生の弟達は不満そうだ。ごめんねと声を掛けて二人の隣の椅子に腰を下ろす。 「ほら二人共ご飯食べたら洗面所行って、まだみんな使うんだから」 「はーい」  せかせかと二人を追い出し、叔母の美智子が湊の前にトーストを乗せた皿を置き、壁の時計をちらりと見る。 「お父さんも、もう行った方がいいんじゃない?」 「あぁ、そうか……」  テレビを見ていた叔父が湯呑に残っていたお茶を飲み干し、椅子から立ち上がる。  六人掛けのテーブルに朝陽と湊の二人が着く、二人だけだと先程の喧騒が嘘のように少し寂しく見える。 「お前、新曲の振りもう頭に入ったか?」 「ん……ひととおり……」  マーガリンを塗った後にいちごジャムを乗せ、パンを半分に折る。口に入れるとカリッと音がして、パンの香ばしさといちごの甘酸っぱさが口の中に広がっていく。  もぐもぐと口を動かす。食べる事に集中していた湊が朝陽を見る。難しそうな顔に苦笑して、飲み込んでから声を掛ける。 「……まだ、覚えてない……?」 「……あぁ……」  これは朝陽が、ではなく他のメンバーの心配をしての顔だ。湊は敢えて名前は出さなかったが、朝陽は該当者を口にした。 「八牧(やまき)道臣(みちおみ)が……あいつら覚えるのおせーんだよな……道臣は振り付け、八牧は歌詞がなぁ……」  はぁ、と朝陽が溜息を吐き出す。リーダーは大変だなと思いながら、でも湊は何も言わなかった。  本当は、苦労の多いリーダーの負担を減らせないか、自分に出来る事がないか聞いたり、覚えの悪い二人のフォローを手伝う提案をしたり、ただ、大変だねって言ったり。  様々な台詞が頭の中には浮かぶのに、いつだってそのどれもが言葉にならない。声を出そうとすると、単語の羅列になってしまい文章として意味をなさない。  だから、ついこうして黙り込んでしまう。  でも、朝陽はそんな湊の事を幼少の頃から理解してくれ、今考えている事の半分位は汲み取っているのだろう、特に何か言ってくる事もない。 「食べ終わったらあなた達も急いで、そろそろ出ないと遅刻するわよ」  キッチンから母が声を掛ける。その言葉に「はい」と返事をして、残りのパンを急いで口に運んだ。
/106ページ

最初のコメントを投稿しよう!