『羽化』

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『羽化』

手鏡に一つ、美しい顔が映っている。 やや垂れ目がちだが整った鼻筋、瞳の奥の光から意志の強さも感じられる。赤く引いたルージュと左目の下にある特徴的なほくろがより一層と妖艶な雰囲気を醸し出しているのかもしれない。 武藤歩美は自分の顔が嫌いではなかった。 大好きだと言い替えた方がむしろ適切だ。勿論そうなれるよう努力もしてきた。唯一欠点をあげるとすれば少し低めでしゃがれたようなこの声だ。まぁ、その辺は職業柄的なものもあるのだろう。 歩美は『とまり木』という小さな飲食店で俗にいうホステスをしていた。ただ店内の空気はどこか重く、使われている調度品も古く傷んでいるものが多い。 雇用主である女店主の山本真理子と二人で営業をしてはいるがお客が入っている時の方が珍しい。お客が居ない時間は店主の真理子だけがいつも甲斐甲斐しく準備に動き周り、歩美はソファーに腰をかけ古いブラウン管でテレビ番組を眺めているか、メイクのチェックといった構図が出来上がっていた。 今日も例に倣って歩美は、テレビから流れるバラエティー番組をBGM代わりに鏡の中の自分と会話を楽しんでいた。ただ今夜の真理子は少し様子が違っていた。 「歩美ちゃん、ちょっといいかしら?」 突然の呼びかけに自分の世界にはいっていた歩美は飛び上がるようにして声の先に視線を送る。 「ごめんね、驚かせっちゃった?」 真理子が困ったような笑みを浮かべながら目を丸くしている歩美の座っているソファーの向かいに腰を下ろす。手には飲み物が入ったグラスを二つ持っていた。 テレビからは馬鹿な芸人の高笑いがなおも聞こえ続けている。 真理子は仕事では勿論、プライベートでも着物を羽織ることが多いらしく和服姿がよく似合う女性だった。齢はもう六十に近いと以前聞いたことがある気もするが四十台後半に見えなくもないと思うほど若々しい。自分ほどでないにしろ若い頃はさぞモテたことだろう。 「歩美ちゃんがうちに来て何年になるかしら?」 「……えっと、二年……いや三年ですね」 「そっか、もう三年になるのねぇ……早いものねぇ」 「……どうしたんですか、急に?」 歩美は真意の汲み取れない真理子の質問に多少の苛立ちを覚えたが出来る限りそれを表に出さないように言葉を返す。
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