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彼の帰って来る場所がここならば、長居をするわけにはいかない。
まだアヒージョを食べている江川の肩に手を置いて立ち上がると、椅子に掛けてあった背広を手に取った。
「江川、そろそろ帰ろうか」
「ん? おお、もうこんな時間か。これ食ってからでも良い? あと二口だから」
「うん、先に会計しておく」
今日は付き合わせてしまったからと、僕の奢りで支払った。
江川に投げキッスをされて、颯爽とそれを避ける。
光紀さんと義仁さんは、また来てねと言ってくれた。
そのことになんだかとても嬉しくなって、年甲斐もなく泣きそうになる。
昔も今も、彼らの側は温かくて心地良い。
ずっと居たいけれど、そんな事をすれば彼が嫌な顔をするからさっさとここを出よう。
ベルを鳴らして扉を開けると、ざあざあと雨が降っていた。
店の軒下に入り込んで、どうしようかと思案する。
駅まではそれほど距離はないし走って行こうか。
けれど、酔っ払いで、しかも三十路間近の男二人、雨の中走るというのも酷なものだ。
ここはタクシーを呼んで駅まで行った方が良いだろう。
そう落着をつけて、タクシー会社にコールしながら目を遊ばせているとあるものが目に入った。
『はい、丸三タクシー』
飲屋街の店の明かりに、遠くからこちらに歩いて来る人影が見えた。
真新しいスーツを雨で濡らして、革靴で水たまりを弾く。
雨の中、俯いていた顔が上がって。
目の前に現れたのは、僕が今、一番会いたくない男。
――大瀬戸 誠だった。
「バー・みよしまでお願いします」
携帯を耳に当てたまま、通話を続ける僕の傍ら。
目線だけを横に向けると、誠は立ち尽くしたまま目を見開いていた。
その様子を見て、なんと話しかけようか頭の中で整理する。
こうして、プライベートで話すのは10年振りくらいか。
話したいことは沢山ある筈なのに、こうして目の前にすると何も思いつかない。
それは、彼も同じなのだろうか?
一瞬、過ぎった考えに馬鹿らしいことだと胸の内で嘲笑する。
そんなことは、あるはずがない。
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