6 西崎透也の章

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【 俺は天才 】  ・・・記録なんておまけみたいなもんだよな  ヒロは大学時代にノーヒットノーランを4、5回やっている。  でもその全てで、本当は完全試合が達成出来たんじゃないか、と俺は疑っていた。  ヒロはチームが完全試合を意識しだす前に、四球を出したり暴投したりして、自分で大記録を放棄してしまう。 「お前わざとフォアボールにしただろ?」  俺はあの時、ヒロを問い詰めた。  それはセンターを守っていた俺の位置から見ても、不自然な四球だった。 「メンタルの問題かな?」  ヒロは申し訳なさそうに、目をしょぼつかせた。 「この間のワイルドピッチもわざとだろ」 「あれもメンタル」 「じゃあ、飛びつけば捕れそうなボールに、ミットを出そうともしないキャッチャーにもメンタルの問題がありそうだな」 「秋時のメンタルには毛が生えてるよ。しかもボーボー」 「アホか・・・ ったく、俺らのメンタルも信用して欲しいもんだな」  ヒロはにっこり微笑んで、それ以上何も言わなかった。    ピッチャーにとって、完全試合の達成は究極の夢だ。    しかし、チームメイトのエラーさえ許さないその偉大な記録は、守備陣に計り知れないプレッシャーをもたらす。    達成直前の9回で、もし自分がエラーをしたら  想像するだけでも、ぞっとする。  ヒロは・・・もしかすると大沢も、そんなリスクを仲間に背負わせたくないと考えていたのだろう。  そんな空気で野球をやっても楽しくない。  あいつらは昔からそうだった。  楽しいからもっと打ちたい。    楽しいからもっと投げたい。  このチームで野球をするのが楽しいから、もっと勝ちたい。  南洋で初めて会った時、俺はあいつらのそんな生ぬるい根性が、鼻についてムカついていた。  俺は生まれ育った新潟県上越市で、小学生の頃から天才投手と言われていた。  幼い頃から体格に恵まれ、体質にも恵まれていた。  人より手足が長く、人より関節の可動域が広かった。  特に肩、肘、手首、指の関節が異常なほど柔らかかった。  だから、いろんな変化球も少し練習すれば、すぐに投げる事が出来た。  カーブやスライダーは、一日でマスターした。  俺は中学3年の頃には、150キロ近いボールを平気で投げていた。  周りに俺の投げるボールを打てる奴なんて、一人もいなかった。  天才とおだてられる以前に、自分自身でそう思っていた。  周りの連中を見下して、完全に天狗になっていた。  だから、指導者や年長者にはいつも嫌われていた。  俺は野球部の監督や上級生とはいつも揉めてばかりいて、高校時代はまともに野球をしていなかった。  レベルの低い連中と一緒にやるなんて、うんざりだった。  俺は高校を卒業したら、アメリカに行くつもりでいた。  マイナーリーグで活躍して、すぐにメジャーに昇格する。  そしてすぐに、何億も稼ぐような選手になる。  自信満々の俺には、それは夢ではなく、単純に自分の就職先としてのメジャーリーグだった。  今考えると俺の生まれ故郷には、俺の取り巻きや子分はいても、真の友達は一人もいなかった。  要するに典型的な世間知らず。  井の中の蛙ってヤツだ。    18歳の時、そんな俺の前にホワイトベアーズの石神さんが現れた。 「このままアメリカに行っても、間違いなく潰されるよ」  柏崎出身の石神渉は、郷土の誇りだった。  ブルーベイズの外野手として、何度も盗塁王になっている。  俺も少年時代は、石神さんがいるというだけの理由で、ブルーベイズを応援していた。  そんな憧れの人にまで悪態をつくほど、俺もひねくれていなかった。  日本に俺の居場所があるのなら、もう少し居てやるか。  南洋大に入ったのも、そんな適当な気持ちの進路決定だった。  しかし南洋大でも、最初は同じだった。  思い出すだけでも反吐が出そうな最低の監督、野球センスゼロの無能な上級生、透かした甲子園のスター、真面目だけが取り柄の堅苦しいチビ・・・。  大学1年の頃は、やはり大学を辞めてメジャーリーグに挑戦する事ばかり考えていた。  そんな協調性ゼロの俺を、まともな人間にしてくれたのが、深町のおっさんだった。
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