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【 無回転 】
俺は30歳の時、念願のメジャーリーグ入りを果たした。
憧れのニューヨーク・ヤンキース。
憧れのピンストライプ。
当然、大沢も水野も後からすぐに来ると思っていた。
しかし、その翌年に大沢が大怪我をした。
そして、その原因を作った水野もメジャー入りを断念していた。
俺は大沢の復活を待つことにした。
大沢が復活すれば水野も来る。
そう信じていた。
俺はヤンキース入団1年目に、いきなり21勝を上げた。
チームをワールドチャンピオンに導く活躍だった。
ワールドシリーズのMVPにも輝いた。
しかし、30歳を過ぎた俺のゆるい肩は、中4日のローテーションとワールドシリーズまでの長いシーズンに耐え切れなかった。
俺はメジャー2年目から慢性的な肩痛と、繰り返す亜脱臼に苦しめられることになった。
2年目の俺は1勝も出来なかった。
その翌年、俺はヤンキースの傘下、ペンシルバニア州のムージックにあるPNCフィールドで1年間、治療とリハビリの日々に明け暮れた。
投球を一切せずに徹底的に肩を鍛え上げた。
しかし、どんなトレーニングをしても肩が元に戻る事はなかった。
どんなに力を振り絞っても、ストレートは最速140キロにも満たなかった。
3年目、復活を掛けたAAAの試合中、再度肩を亜脱臼してしまう。
大沢も来ない。
水野も来ない。
俺の夢は右肩と一緒に潰れた。
俺は引退を決意した。
「ナックルボールを覚えない?」
そんな時に日本から連絡が入った。
ずっと俺の事を心配してくれていた奴がいた。
治療の為に日本に戻った俺は、中部国際空港でヒロに迎えられた。
そしてそのまま南洋大学の陸上部に連れて行かれた。
俺はそこで毎日、砲丸投げの練習を見せられた。
砲丸投げを見る事で、まず無回転の投球イメージを頭に叩き込んだ。
そして肩が治ってからの俺は、ひたすら無回転ボールに挑んだ。
ナックルボールの習得は、器用な俺でも半年以上を要した。
ヒロは忙しい仕事の合間を縫って、可能な限り俺に付き合ってくれた。
とにかくボールに少しでも指が掛かると回転してしまう。
バックスピンを相殺させる為に、どうしても爪を立ててしまう。
しかしヒロはそれを許してくれなかった。
爪を立てて硬球を投げ続けるとどうなるか。
そんな事は考えるまでもない。
3ヶ月後、回転は少しずつしなくなっていった。
・・・そして
ある日ボールが、揺らっと落ちた。
それは完全な無回転ボールではなかった。
キャッチャーに届くまでちょうど一回転。
実はそれが一番揺れるのかも知れない。
そして完全に無回転になると、ストンと落下する。
キャッチャーに届くまで、無回転から一回転半。
この揺れたり揺れなかったりの不規則な落下が、最もバッターを幻惑させるのではないか。
無回転ボール100パーセントを目指しても、9割以上はほんの少し回転が掛かってしまう。
ヒロはこの状態こそが、ナックルボールを習得した状態だと言って笑った。
俺はナックルをものにした。
一度コツをつかむと面白いように、ボールが揺れ始めた。
しかも、習得してみればナックルほど俺の肩にあったボールはないという事がわかった。
力を抜けば抜くほどボールは動いた。
それは殆んど肩に負担がかからない、魔球だった。
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