6 西崎透也の章

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【 無回転 】    俺は30歳の時、念願のメジャーリーグ入りを果たした。  憧れのニューヨーク・ヤンキース。  憧れのピンストライプ。  当然、大沢も水野も後からすぐに来ると思っていた。  しかし、その翌年に大沢が大怪我をした。  そして、その原因を作った水野もメジャー入りを断念していた。    俺は大沢の復活を待つことにした。  大沢が復活すれば水野も来る。  そう信じていた。  俺はヤンキース入団1年目に、いきなり21勝を上げた。  チームをワールドチャンピオンに導く活躍だった。  ワールドシリーズのMVPにも輝いた。  しかし、30歳を過ぎた俺のゆるい肩は、中4日のローテーションとワールドシリーズまでの長いシーズンに耐え切れなかった。  俺はメジャー2年目から慢性的な肩痛と、繰り返す亜脱臼に苦しめられることになった。  2年目の俺は1勝も出来なかった。  その翌年、俺はヤンキースの傘下、ペンシルバニア州のムージックにあるPNCフィールドで1年間、治療とリハビリの日々に明け暮れた。  投球を一切せずに徹底的に肩を鍛え上げた。  しかし、どんなトレーニングをしても肩が元に戻る事はなかった。  どんなに力を振り絞っても、ストレートは最速140キロにも満たなかった。  3年目、復活を掛けたAAAの試合中、再度肩を亜脱臼してしまう。  大沢も来ない。  水野も来ない。  俺の夢は右肩と一緒に潰れた。  俺は引退を決意した。 「ナックルボールを覚えない?」   そんな時に日本から連絡が入った。  ずっと俺の事を心配してくれていた奴がいた。  治療の為に日本に戻った俺は、中部国際空港でヒロに迎えられた。  そしてそのまま南洋大学の陸上部に連れて行かれた。  俺はそこで毎日、砲丸投げの練習を見せられた。  砲丸投げを見る事で、まず無回転の投球イメージを頭に叩き込んだ。  そして肩が治ってからの俺は、ひたすら無回転ボールに挑んだ。  ナックルボールの習得は、器用な俺でも半年以上を要した。  ヒロは忙しい仕事の合間を縫って、可能な限り俺に付き合ってくれた。  とにかくボールに少しでも指が掛かると回転してしまう。  バックスピンを相殺させる為に、どうしても爪を立ててしまう。  しかしヒロはそれを許してくれなかった。    爪を立てて硬球を投げ続けるとどうなるか。  そんな事は考えるまでもない。  3ヶ月後、回転は少しずつしなくなっていった。  ・・・そして  ある日ボールが、揺らっと落ちた。  それは完全な無回転ボールではなかった。  キャッチャーに届くまでちょうど一回転。  実はそれが一番揺れるのかも知れない。  そして完全に無回転になると、ストンと落下する。  キャッチャーに届くまで、無回転から一回転半。  この揺れたり揺れなかったりの不規則な落下が、最もバッターを幻惑させるのではないか。  無回転ボール100パーセントを目指しても、9割以上はほんの少し回転が掛かってしまう。  ヒロはこの状態こそが、ナックルボールを習得した状態だと言って笑った。  俺はナックルをものにした。  一度コツをつかむと面白いように、ボールが揺れ始めた。  しかも、習得してみればナックルほど俺の肩にあったボールはないという事がわかった。  力を抜けば抜くほどボールは動いた。    それは殆んど肩に負担がかからない、魔球だった。
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