2 久住恭平の章

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【 球団オーナー 】  10月27日 南洋市民病院  秋庭聖一が心筋梗塞で倒れ、緊急搬送された。    そう聞いた瞬間、まさに背筋が凍った。  自分にもコントロール出来ない感情がある事を知った。  自分はもっと冷静、冷淡な男であると思っていた。  しかし私もこんなに動転することがあるんだ、と改めて秋庭の存在の大きさを思い知らされた。  しかし、幸い秋庭の症状は軽かった。  もともと狭心症の診断を受けており硝酸薬を携帯している身であり、軽い発作はさして珍しい事ではない。    だた今回はいつもより発作時間が長かったようだ。  その為に秘書が動揺してしまい、119番通報したという事だった。  だが大事には至らなかった。後遺症の心配もないという。  秋庭は私が病院に到着した時にはすでに血圧も落ち着いており、ベッドに半身起こした状態だった。  次々と見舞いに訪れる会社の幹部たちを、強い口調で追い帰していた。 「皆さんすぐに仕事に戻ってください。僕の為にこれ以上、関係者に迷惑を掛けないで下さい。特にマスコミへの対応は慎重を期してください」  秋庭は周りの過剰反応に対し、明らかに困惑していた。  私は秘書課長をつかまえ、まずマスコミに正確な状況説明を正式に行うよう指示した。  それから1時間後。  騒ぎが落ち着くと、秋庭は改めて4人の球団幹部を病室に召集したのだった。  球団副社長の前川俊作、ホワイトベアーズ監督の千葉正利、編成本部長の松岡哲也、そしてGMの私。  球団社長の真田信太郎は東京出張中だった。  病院の特別室は、抹茶色に統一された内装が適度に落ち着いており、豪華な応接セットまであるスイートルームのような部屋だった。    秋庭は、すでにTシャツに薄手のパーカー、スリムなカーゴパンツといった大学生のようなスタイルでソファに座って待っていた。    テーブルにはパソコンが置いてある。  そこにはもう既に仕事モードの空気が漂っていた。 「今日は大袈裟な事になって恥ずかしい限りです。申し訳ありません。皆さんからも関係者の方々へのお詫びをよろしくお伝え頂きたいです」  秋庭は4人の目を覗き込むように、軽く頭を下げた。  そしてソファを指し示し、4人に腰を落ち着かせるよう促した。 「本当に大事に至らず良かったです。びっくりして私の心臓が止まるところでした」  前川が滑舌は良いがセンスの悪いジョークで返した。 「良かったですね」   千葉監督がかすれ気味の濁声で言った。 「ありがとうございます。実際、わたしの健康状態には何の問題もありませんので、皆さんも今まで通りでお願いします。・・・ところで今日、皆さんに来て頂いたのは、折角ここに揃っておられるのなら、改めて今回のドラフトの成功を労いたいと思い、お呼びしました」    秋庭はにっこりと微笑んだ。  彼は時々、子供のように笑う。  そして、周りはこの笑顔に魅了される。 「前川副社長、千葉監督、松岡くん、京川聖の獲得本当にご苦労様でした。僕の念願でもありましたので、本当に嬉しかったです。同時にあの桃井光まで指名出来たなんて夢のようです。更に今年は狙っていた選手を、全員指名出来たと聞きました。入団契約もまず問題ないとGMから聞いています。皆さんのおかげです。ありがとうございます」  秋庭は改めて丁寧に頭を下げた。  秋庭聖一は人たらしと言われる。  存外、政財界やマスコミからはその様を斜めに見られがちだが、実際の彼に裏の顔はない。  彼には周りからどう見られるとか、相手を喜ばそうという感覚はまったくない。    ただ子供のようにひたすら夢を追いかけているだけだ。    そして周囲の人間はいつの間にかそれに引き込まれる。  
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