2 久住恭平の章

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【 いち大沢ファンの意見 】 「大沢を切る切らないは、恭さんが決めればいい。それは問題が別でしょ。京川聖に、大沢秋時のノウハウを引き継がせたい為に、大沢さんの現役を続行させるって言うのが気に入らない。僕には大沢コーチの指導がないと、京川聖が一人前になれないとは思えないのだけどね」  秋庭はおもむろに立ち上がると、クローゼットの方へ歩いて行った。 「しかし、京川の将来を思えば、大沢のスキル継承は必要じゃないかな」 「そもそもチーム編成は、京川聖が中心というわけではないでしょ?」  秋庭はクローゼットからグラブを二つ取り出した。  手にはボールも持っている。軟球だ。 「僕だって少しは選手の事は知ってるよ。大沢秋時が、ずっとチームの支えになってきた事もね。特に投手陣にとって彼は特別な存在でしょ? 彼は大学の時からそうだった。水野、杉村、西崎そして大沢。この4人は僕にとっても決して小さな存在ではない。僕だって京川の事とは切り離して、大沢秋時の生き様は最後まで見てみたいと思う。でももう戦力にはならないって監督が言っている。事実がどうあれ、現場の指揮官がそういった時点で戦力外って事でしょ。監督が大沢を使わないでしょう。でも本人はコーチを断って来た」  秋庭はグラブをひとつ、こっちに放ってきた。 「今までの恭さんなら、その時点で大沢秋時を切っているよね。戦力にならない選手を無理やり現役で残してまで、京川のコーチに付けようとしているのはチーム編成を、京川中心に考えているからでしょ?」   私はグラブをキャッチしながら、黙り込む事しか出来なかった。 「僕が言いたいのは、僕の言葉に振り回されて欲しくないって事。僕が京川の事を気に入ったって言ったら、京川を中心に編成を考えるみたいなところがあるでしょ?まるで球団を私物化するワンマンオーナーの図式だね」  5、6メートルほど離れた所から、秋庭がボールを投げてきた。  私はまだグラブをはめていなかったので、素手でキャッチした。 「最近みんな、僕の事をリスペクトし過ぎる。過剰にね。役員連中なんか特にそうだよ。さっきの会議だってそうさ。みんなぼくが喜びそうな事ばかり言うんで、聞いてて気持ち悪くてしょうがなかった。裸の王様になったような気分だ。せめて恭さんはいつも上空から俯瞰しててほしいよな」  秋庭がグラブを広げ、鳥の羽のように動かした。   「京川が活躍すれば、全てが好転するような気がする。僕は確かにそう言った。でもその方法は一つだけではないはずだし、仮に京川が活躍出来なくても、違うことで好転は図れる。もっと、現場の事を一番に考えて、柔軟に行こうよ。10年前、20年前と同じように」  少しうんざりしている、といった感じの物言いだった。  やはり、今日は疲れている。  普段はこんな愚痴っぽい言い方はしない。  それでも、しっかりと問題の核心を突いてくるところはさすがだ。 「さっきも言ったけど、僕個人の意見を言ってしまうと、大沢秋時には残ってもらいたい。コーチなんてさせずにね。なぜなら、復活した彼のバッティングを、もう一度見たいから。これは単なる、いち大沢ファンの意見。でも恭さんは違う。監督、コーチ、選手の総合バランスを踏まえて、ベストの布陣を組まなければならない。その結論に対してはぼくはどうこう言わない。ただ僕が嫌だなって感じたのは、コーチ兼任という言葉の中にある妥協の匂い。だからそこは反対したい」 「どうやら私は、見当違いの場所を彷徨っていたようだな」    そう自虐的に言ってから急に恥ずかしくなった。  私は右手でボールを握り締めた。  ・・・忘れていた  秋庭の青臭さに一番心酔していたのは、私自身だった。
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