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男はゆっくり、先ほどまで右耳を触っていた右の手を頭上に振りかざした。左手には動きがないので、降参の合図ではどうやらなさそうである。
後ろのサングラスをかけた幾人もの人間の影が揺らぐのが見えた。大方、戦闘準備といったところだろうか。
人を殺すのは嫌なので、僕は脳裏に思考を巡らせた。もちろん、殺さずにこの場を脱する方法についてだ。
男が手を挙げたのを認識してから一瞬を五回ほど数えると、ある武器が脳内に顕れた。
僕はそれを見たことがある。
そしてそれもまた、ここにある。
「……!」
男はあらん限りの力で何もないただの虚空を切り裂いた。
一秒経って、四方からの雄叫びと共に、微細に地面が揺れるのを感じ、視界で蠢く黒い服の人間を見た。
数に任せてマイを確保するつもりだろう。僕がその気なら、この場に死体の絨毯が織られるところだが、マイに虐殺を見せる訳にはいかないので、僕はマイの手を引き、行動を起こした。
地響きのせいで、築かれた瓦礫が細かく震える中に、三つのそれを見つけた。黒い軍勢は五十メートルほどの位置にいる。
この人数を全て戦闘不能に陥らせるためには。
僕が出した結論は『高い場所に登る』だった。
マイの白絹のような手を優しく、しかし決して離さぬように握って、僕は瓦礫の山に登頂した。
俯瞰で見てようやくわかった。およそ百だ。百対の双眸のがこちらを見つめている。その中の数人が瓦礫に足をかけたところだ。これが本当の四面楚歌というやつだろう。
一度、マイの手を離す。
「しゃがんで、耳を塞いで、目を瞑れ」
僕はマイに言った。マイが自由になった両の手で耳を抑え、目の蓋が閉まったのを視認してから、僕は攻撃に入った。
『ピン』を三本同時に抜き、三方向へと投擲したのち、僕もマイと同じように目と耳を保護するために目を閉じた。
やがて、瞼越しでもわかる白銀の閃光と、手が気休め程度にしかならない轟が僕らの世界を包んだ。
二秒待って、まず聴覚を解放した。不細工に重なり合う呻き声が聞こえる。
それから一秒待って、目を開けた。果たして、殆どの男は気絶するか、蹲っていた。
スタングレネード。光と音の爆弾。
ただ目と耳を抑えていただけの僕だが、どうやら相当いい役割をしてくれたらしい。
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