平穏の揺らぎ

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「マイ、立てるか?」 「……うん」  すぐに目を開け、返事はしたものの、その声には普段の明るくて快活なマイの姿はなかった。マイ自身も、自分が狙われていることはわかっているのだろう。 「早く逃げよう。殺傷能力はないから、じきに回復する」 「お兄ちゃん……」 「どうした?」  マイの目に輝く光はなかった。しかしマイはその虚ろな目で僕を捉えていた。マイはいつでもどこでも、僕を頼る。良くも悪くも。僕らには親がいないので、マイにとって僕は父親か母親のような、かけがえのない存在なのだ。 「この人たち、誰なの? どうして、わたしを……」 「後で考えよう、それは。今は早くここから逃げないと」  僕はマイの手を掴んだ。肌が白いのは、鉄が不足しているから。そういえば、今日の分の鉄は十分に摂れたのだろうか。  大丈夫、と言うように、マイの手が僕の手を握り返した。僕はその腕を引き上げ、マイを立たせる。 「マイ」  僕はおんぶの姿勢をとった。周りの男の大部分は蹲って悶えているけれど、五分の一は意識の有無はともかく、立ったままだ。つまり、まだ包囲網は完全には解かれていない。  一秒でも、一刻でも早く抜けるためには、二人で走るより、僕がマイを運んだ方がいい。 「ん……」  マイが僕の背に乗った。  妹の個人情報を守るため、重さについては言及しない。 「じゃあ、行くぞ」  いくら鉄とは言っても、重なり合っているだけだ。固定するものは何一つない。踏み場所を誤れば命も危うい。僕は道を慎重に選びながら、しかし迅速に瓦礫を降りた。  さて、ここからだ。  目の前にいるのは大人。大部分を無力化したとはいっても、簡単に逃げおおせるとは思えない。  と。 「……っ」  背中でハチドリのホバリングのように細かく震えていたマイが、それよりも小さく呻いた。  この声を、僕は知っている。  普段は僕の感情を無感情にかき乱すこの声が、今に限っては心を無神経に蝕むばかりではなかった。  手に感触があった。  妹の肉体を触って欲情しているわけはない。まあ、あるはずのない手触りに違和感を感じたのは確かだ。  マイを支える左腕に一層強い力を込め、右腕を胸の前へ出した。  右手に握られていたのは、刀だった。  刀。  と言っても、鋭利なそれではない。刃がぼろぼろと今にも崩れ落ちてしまいそうな、ただの鈍だ。  ──ちょうどよかった。
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