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私は女に言われるままに、抱き上げた。嫌がる素振りもなく、私の腕におさまり、ゴロゴロと喉を鳴らした。愛らしい。私は自然と頭をそっと撫でていた。
「この猫を私はずっと飼っていたのですか?」
「そうですわ。その猫は、貴方が生まれた時から飼っているのですよ」
「でも、今まで見たこともありません。いったい何処に」
女はゆっくりと答えた。
「貴方のうちにいたのですよ」
「うち? 家には今まで猫など居たことがないのですが」
「うちとは、貴方の内面にということですよ。ずっと棲みついていたのですわ」
私はまじまじと猫を見た。黒い毛並みは艶が悪く、痩せ細り、目やにも浮いている。その辺で見かける野良猫より貧相だ。
女は私の心を読んだように言う。
「御覧になってお分かりかとは思いますが、随分と貧相な猫でしょう? その猫は病んでいるのですよ。かわいそうではありませんか?」
「はい。知らずに飼っていたとはいえ、余りにもかわいそうです。私に出来るなら何とかしてあげたいのですが」
私は素直にそう思った。どのように暮らしていたのかは分からないが、私に関わってのこの有り様なら、責任は感じてしまう。
「この猫は貴方の精神と一緒なのですよ。貴方の心持ちで如何様にも変わるのです。でも、長年の蓄積で、もう手遅れなのです。このまま貴方と一緒にいても、どんどん悪くなる一方なのです。それは貴方も同じです。この猫と一緒にいると、貴方は益々生き難くなるでしょう」
私はごくりと唾を飲み込み、女に尋ねた。
「では、どうすれば良いのですか?」
女はさらりと答えた。
「捨ててしまえば良いのですよ。それで全てが解決しますから」
「こんなに弱った猫を捨てるなど、私にはできません」
「大丈夫ですわ。案外何の感慨もなくお別れ出来ますから」
「しかし、この猫はどうやって生きていくのですか」
「それも心配ありませんわ。貴方が元気になられたら、猫も元気な姿で帰ってきますから」
女は妖しく促す。
「さあ、早く捨てておしまいなさいな」
私は逆らうことが出来なかった。女の言葉に支配されるように、猫を下ろしていた。そして、見上げる猫に淡々と言う。
「お別れだ。何処にでも行きなさい」
猫は暫く私をじっと見ていたが、「にゃあ」と一声残し、何処かへと走り去っていった。
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