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4章
目が覚めた宮元が初めて目にしていたのは編集部の天井と自分自身の突き上げた右手だった。大量の原稿や資料が床に散らばり、彼は椅子ごとに後ろに倒れていたことに気づいた。打ちどころが悪ければ軽い怪我では済まされなかっただろう。そんな自分に毒づきながら床に散らばった書類を片付けて、机に残された最後の候補作を見る。一つはもう何度も落選している作家からの作品、もう一つは編集長のお墨付きだ。すっかり日が昇り、時間は決して残されてなかった。しかし宮元は何も焦ることはないと思った。
宮元はまず改めて編集長の推した原稿を読んでみた。やはりこれではひと押しが足りない、何かが引っかかってほしい、しかしそれが若さなのか。
彼はそのままもう一人の候補の原稿を手に取った。こちらも相変わらずパッとしなかった。毎回なのだから彼の才能はここが頭打ちではないかと思ってしまう。しかし彼は続きの最後の一枚を手に取ってから新しい事実に気がついた。
それは主人公が最愛の片思いの人に先立たれ、出棺の際の場面だった。男は周りの人々を押し退けて、彼女の手を取った。愛してます。これからもずっと愛してます。ありがとう。ありがとう。言葉を口にしながら男は涙を拭うことをせず、繰り返し続けた。その喪われる手が鮮明に克明に描いているのだ。比喩を並べ立てるのではない。大きさや色の白さ、爪の形どころかほくろの位置まで描写していた。
宮元は初めて彼のコメントを読んだ。「これを最後にしようと思っているので、執念の限りを詰めた。」
自分よりも一回りも年上の新人の遺作に初めて心を動かされ、彼は最後の候補を決めることにした。
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