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「あんたはビフテキがあるだろ? 今から頼んだら来るまで時間がかかるし、仕事が詰まってるんじゃいつ喰えるのか」
「わかった。昼休みにしていい。時間をとっていいから、新しいのを頼め。――なにをにやにやしているんだ?」
「いえ、なんでも」
なんでも、といいながら野々宮はなにやらまだ笑いを堪えている。龍郷は上等な肉で食事中とは思えない、苦い物でも口に含んだような顔でむすっと顔を逸らした。
「それより、なにか用事があってきたんだろう」
「そうでした」
我に返った野々宮が何事か耳打ちする。秘書の顔に戻った野々宮の話を聞き、龍郷もまた社長の顔に戻った。――のはいいが、さっきよりなお酷い渋面だ。
だが諦めたように口元を拭ってナプキンを乱雑に放り出すと、席を立つ。
「すぐ戻る」
別にそんなことは訊いてもいないのだが、そう言い残して。
「すまないね。せっかく一緒に食事だったのに」
代わって席についた野々宮が謝ってくるが、食事の時間を楽しむ、という感覚がつい最近までなかったしおんには、謝られるようなことではない。
「別に、俺は飯が喰えればなんでもいい」
「あいつはそうじゃないみたいだけど」
また親しい間柄の口調に戻っている。この言いぐさではまるで龍郷が自分との食事を楽しみにしていたようにとれるが、そんなことはないだろう。
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