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 そういえば、龍郷の家で最初に目が覚めたのは、その口論が耳に入ったからだった。あれももう、随分遠い昔の出来事のような気がする。 「それが普通の反応だろ」  野々宮は龍郷の秘書なのだから、素性の知れない奴を近づけないようにするのは、至極まっとうな対応だったと思う。  野々宮は龍郷とはまた趣の異なる、やわらかな美貌を歪めた。 「そもそも本当は音楽学校の生徒で選抜することになっていたんだ。部下に手配を任せたら、場所もあんなことになって」  きっと父親の代の従業員が嫌がらせのつもりでそうしたんだろう、と野々宮は声をひそめた。 失敗することを望まれている。 ーーあいつがそう言ってたの、まるっきり根拠のないことでもなかったのか。  だが龍郷は、野々宮が止めるのにも耳を貸さず審査を決行した。「面白い」とだけ呟いて。 「半ばは意地になっていたんだと思う。人はもう集まってしまっているし、投げ出して帰るのも評判に良くない。あいつのことだから、そうとっさに計算も働いたんだろう。でも君が出てくるまでずっと酷く険しい顔をしていた。……きっと静かに怒りをためこんでいたんだと思う」  なんのことはない。最初に感じたとおり、あの日の選考は本当に無意味だったのだ。  ――それでも俺とあいつは、あの日に出会った。     
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