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 いつもより早く動き出してしまったのは、体の節という節が痛んで眠っているのもつらかったからだ。たぶん、熱がある。本来なら宵のそぞろ歩きには最適な初夏、しおんは猛烈な寒気に襲われていた。このまま眠っていれば死んでしまえる。そうは思ったのだが、こみあげる吐き気と節々の痛みがそれを許さなかった。生きながらえたいわけではないが、じっとしているよりは気が紛れる。 「ねえ、ちょっと」  窓から女の姿が消えたかと思うと、しばらくして一階の引き戸が開いた。その頃には女は三人に増えていて、それぞれだらしなく着崩した着物の襟を合わせながら、なにかの包みを差し出してくる。 「ほら、キャラメルあげるわよ」 「シベリヤのほうがいいわよね」  そうやってふたりがまくし立てる間に、もうひとりがしおんの目深に被ったハンチングを奪おうとしてくる。しおんは無言のままそれを払いのけた。 「きゃ、ちょっと――」  女の手に握られていた橙色のキャラメルの箱が、薄汚れた路地に転がる。 「なによ、生意気ね!」  女たちはそう言い捨てると再び店の中へ引き返していった。  あいつら、いつもああやって俺の顔を見ようとしてくる。……なにか感づかれるようなことしたか。  この辺りにいるのも潮時なのか。そう考えてはみるが、次の行き場所にあてがあるわけもなかった。  やりたいことはない。  行きたい場所も、行ける場所も。  ましてや、帰る場所なんて、どこにも。     
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