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「歌わないのか?」  歌う?  ああ、そうだ、ここは音楽隊の入隊希望者を募る場所だった。うろたえる劇場の男たちとは違う落ちついた声音は、しおんにもつかの間冷静な思考を取り戻させた。 「いや、あの子供は」  誰かが声の主を諫めている。 「大変申し訳ありません。すぐにつまみ出しますので」 「俺はそいつに訊いてるんだ。――歌わないのか?」  目はまだ光に灼かれたままで、声の主の姿は見えなかった。でもわかる。そいつが客席で足を組み、こちらを面白がって見ているのが。  人になにかを要求することに慣れた声音だ。自分のような子供に大人がそんな口のきき方をするのはよくあることだった。  ――でも、  ふと違和感を覚えて、しおんはまだ見えない目をすがめた。今まで散々受けてきた、そんな扱いとも少し違うこの感じ。 「なんでもいいぞ。とにかく声を出してみろ」  男の声がそう重なって、しおんの中で違和感の正体がやっとはっきりと形を結んだ。ただ頭から要求されているのではない。命令されているのではない。  試されている。挑まれている。  目をそらされることに慣れたこの容姿を、まっすぐに見つめてくる奴がいる。  いつもならなんでもさらりとかわして逃げたはずだった。  だって、この世はしおんにはどうにもならないことばかりでできている。この目と髪の色、どこの誰かもわからない生まれ。帰る場所もない境遇。それら自分で変えることのできないものたちは、しおんの上で常にはねのけることのできない十二階の影のように闇を落としている。  どうにもできないことに立ち向かうなんて、無駄だ。もっと深く傷つくだけだ。  でも今は、どういうわけかこの挑発から逃げたくなかった。  ――この野郎。  しおんは水の滴る頭を振った。伸び放題の髪の先から水滴が飛び散り、つまみ出そうと寄ってきた劇場の人間が飛びずさる。がんがんと耳の近くで一斗缶でも殴られているような酷い頭痛と目眩がしたが、しおんは濡れそぼって顔に落ちかかる髪を乱暴にかき上げると、客席にいるのであろう声の主を、その姿がはっきりと見えないままきつく睨み返した。
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