五年

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 近づけば近づく程に、時間は逆行して動いていく。いっちゃんだ。いっちゃん。会いたく会いたく、そして二度と会いたくなかった人。 「サエ」  ほらその声もまさしくいっちゃんで、怒涛の如く感情が溢れてくる。今すぐ飛び付きたいほど待ち望んでいたのに、この瞬間にも踵を返して逃げたくなるのだ。 「いっちゃん」  逃げたい衝動を抑え、絞り出したのはずっと呼びたかった名前だった。 「うん」 「……なんで?」 「サエと一緒に住んでた人に呼び出された」  紗英は大きく息を飲み込むと、固まって動けなかった体が一気に溶けて解放されたかのように走り出す。  いっちゃんの傍らを抜けて毎日毎日開けてきた扉のノブを掴むと一気に引く。  扉は小さくキィと鳴いたのに、それは当たる場所がなくて、どこまでも広がっていった。がらんどうの部屋に紗英のスーツケースがぽつんと置かれている。  ぐぐっと込み上げる涙を結局抑えることなど出来ずに、するすると垂れ流していく。  また、置いていかれた。まただ。また、選ばれなかった。  残されたスーツケースが、カーテンも何もかも取り払われた部屋で、入り込んだネオンの明かりに照らされていた。それがボヤける度に、紗英は涙を拭った。現実を直視するのは辛くて、でも残されたスーツケースを見ずには居られない。これが現実。私はまたひとりぼっち。
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