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サエは背を向けたまま、ごしごしと顔を擦り、ゆっくり体の横に下ろした手を握りしめてから振り返った。
暗がりでも分かる赤い目元。頑張って持ち上げた口角。不意に震えた唇を噛み締めてから、揺れないように恐る恐る口を開く。
「久しぶり……に、会ったのに、なんかごめんね」
慎重に話すのは震えた声にならないように。笑って見せる弱々しい表情に、気がつかないほど壱も子供ではなかった。
五年だ。あの時、見過ごした沢山のサインに山ほど悔いた時間。長かった。
「謝るのはそれじゃないだろ……とにかく」
壱は土足のまま部屋に上がると、サエを通りすぎてスーツケースを掴んだ。
「俺、体冷えまくってるし、腹も減ったから帰ろう」
スーツケースを引いて並んだサエは五年前と変わらず小さく、そして答えない。サエはサエだ。本当は泣き叫びたくても、下手な笑顔を浮かべる、それがサエ。
「いっちゃん……」
おずおずと見上げるサエの瞳にネオンの光が反射し、煌めいていた。
「ん?」
「私……あの……」
「うん」
「ごめんなさい、実家には……帰りた…たく…帰れない」
壱はサエと再会してから始めて微笑み、スーツケースを持ち変えてサエと手をつないだ。どちらも冷えきっていたが、幾らか壱の手の方が温かかった。
「狭いけど俺んところ行くから。急ぐ必要ないよ。まずは温かい場所で飯」
壱は言い切ってサエの反応を待った。サエの瞳はユラッと揺らぐが最後には頷いてみせた。壱も頷いてスーツケースとサエの手を引いて歩きだした。
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